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家族とは、何なのか──古典的名作『エデンの東』へのオマージュ作品

家族とは、何なのか──古典的名作『エデンの東』へのオマージュ作品

文:瀧井 朝世 (ライター)

『エデンの果ての家』(桂 望実 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『エデンの果ての家』(桂 望実 著)

 旧約聖書の「創世記」に登場する、カインとアベルの話はご存知だろうか。二人の兄弟が神に供物をささげたところ、弟アベルの捧げた子羊は喜ばれたが兄カインの農作物は拒否されてしまう。勝手に嫉妬心を抱いたカインはアベルを殺害。その罪でカインはエデンの東に追放されてしまい……というお話だ。

 次に、アメリカの作家、スタインベックが一九五二年に発表した長篇小説『エデンの東』はご存知だろうか。カインとアベルの話をモチーフに、三代にわたる父と子の確執が描かれる大作だ。もしかすると、小説は知らなくても一九五五年のアメリカ映画『エデンの東』なら知っている、という方もいるかもしれない。監督はエリア・カザン、主演はこれが映画初出演となるジェームズ・ディーンで、ここから彼は一気にスターダムにのし上がる。内容はというと、小説『エデンの東』の後半部分が主軸となっている。主人公は農場主の次男ケイレブ、通称キャル。父親は真面目な兄アーロンを可愛がり、キャルは、自分は父に疎まれていると感じている。そんなキャルを心配するのはアーロンの婚約者エイブラで……。

 と、説明が長くなってしまったが、もうお分かりだろう。この『エデンの果ての家』は、こうした先行作品を踏まえた、オマージュ的な小説なのだ。「別册文藝春秋」の二〇一三年五月号から二〇一四年三月号まで連載され、二〇一四年九月に単行本が刊行された。本書はその文庫化である。

 

 桂望実といえば『県庁の星』や『嫌な女』といった映像化された話題作品もあり、さまざまな切り口のエンタメ作品を発表し続けている。本書の巻頭の数ページを読んだ時、今回は事件の真相を探るミステリ小説を書いたのだろうと思った読者は多いだろうが、次第にそれよりも重要なテーマが浮かび上がってくる。先述の古典的名作にちなんでいると分かれば、それも腑に落ちるのではないか。

 大企業に勤める父敬一、母直子、弟の秀弘との四人家族で育った葉山和弘。幼い頃からずっと両親は弟に期待と愛情を注ぎ、和弘は一人疎外感を抱いて生きてきた。現在は結婚し、盆栽の会社を経営する彼の人生が大きくひび割れたのは、行方が分からなくなっていた母親の遺体が山林で発見されたからだ。通夜にやってきた警察は驚いたことに、弟の秀弘を実母殺害容疑で逮捕する。まさか、あんなに自分を愛してくれた母親を弟が殺すはずがないと、父も和弘も無実を信じて適任の弁護士を探すが、さらなる衝撃が待っていた。秀弘が交際していた女性が事故死していた件も彼の犯行とされ、再逮捕されてしまうのだ。

 兄弟の間に生まれる嫉妬や劣等感という感情をカインコンプレックスという。言うまでもなくカインとアベルの物語をベースにした言葉で、本作の主なテーマのひとつがそれだ。成人した和弘は自らの意志で親の反対をおして盆栽を栽培・販売する会社を始めたが、その動機は単に盆栽に惹かれたというだけでなく、親に愛されることを期待しては落胆するような生き方はもはやしたくない、という強い思いがあったのかもしれない。しかしそれで自由になれたわけではなく、自立した後も、彼はカインコンプレックスから解放されていない。たとえば母親が、弟からの誕生日プレゼントは喜ぶのに自分の妻からの贈り物をぞんざいに扱うのを見ても気にしないように努めている様子からは、むしろ十二分に気にしていることが見えてくるのだ。ただ、そうしたコンプレックスを扱うだけでなく、そこからもう一歩踏み込んだ複雑な状況を設けることで、著者は家族同士の複雑な心理をもう一層深く掘り下げていく。

 母親が殺害され、犯人は弟だという。なんと難しい状況だろうか。父と和弘は被害者の遺族であり、容疑者の家族という、心理的に引き裂かれるような状態に置かれてしまうのだから。そのなかで、この父と息子はどう現実と向き合っていくのか。

文春文庫
エデンの果ての家
桂望実

定価:836円(税込)発売日:2017年08月04日

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