2017.10.19 別冊文藝春秋

『代表取締役アイドル』小林泰三――立ち読み

文: 小林 泰三

電子版16号

「別冊文藝春秋 電子版16号」(文藝春秋 編)

第一回

1

 三日経って漸く身体の震えが止まった。

 だが、まだ夜は全く眠れないし、眠気に負けてついうとうとすると、決まって悪夢を見た。

 内容は毎回同じだ。現実に体験したそのままが繰り返される。


 河野ささらはいつものように握手会に出席していた。

 意外なことに彼女は握手会をそれほど苦痛とは感じていなかった。もちろん、彼女のファンは全員美形という訳ではない。むしろ、そうでないと感じられる風貌の人間が多かった。しかし、世の中の人間はたいていそんなに美形ではない。美形でないという理由で嫌っていたら全世界を憎まざるを得なくなってしまう。だから、肥満体型だとか、常にだらだらと汗をかいているとか、そういうこともあまり気にならなかった。もちろん、全く気にならないことはない。だけど、握手する度に手を除菌ティッシュで拭いたりしなくても我慢できた。拭くのは最後で構わない。その方が地球に優しいし。

 ささらはファンの外見よりもむしろ自分たちを応援してくれるそのひたむきな態度に好感を持っていた。彼らは何の打算もなく、心底自分たちを応援してくれているのだ。彼らは自分たちと握手したいばかりに同じCDを何十枚も買ってくれるのだ。ここのどこに打算があり得ようか。彼らは純粋に自分たちのアイドルグループ――ハリキリ・セブンティーンに憧れ、その幸せを願ってくれているのだ。この人たちを邪険に扱うことなど決してできない。ささらは握手を求めてくるファンたちを真剣に受け止めた。

 肉体的接触のために金を払うんだから、一種の風俗だと口汚くいうものもいる。そう思うなら、そう思わせておけばいい。肉体的接触――握手のことだが――は一種のセレモニーに過ぎない、彼らは高い精神性を求めているのだ。

 ささらはいつもそんなふうに考えて自分を鼓舞してきた。だから、握手会の間は一種のトランス状態、催眠状態にあるといっていい。だから、すぐ隣で起きていることにしばらく気付かなかったのだ。

 汗ばんだ手で、ささらの手を握る男性が突然横を見て目を見張った。

「うわあああ!!」野太い悲鳴を上げる。

 手は握ったままだが、もはや心はそこにはないような感覚だった。

 よく見ると、列の後ろに並んでいるファンたちも先頭の男性と同じ方を見ているのに気付いた。一様に驚愕に恐怖が入り混じった表情をしている。

 隣の席で何か起きてるんだな、と思った。

 特に感情は起きなかった。トランス状態にあるときには、殆ど感情の起伏は起きない。

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