2017.12.14 別冊文藝春秋

『スタッフロール』深緑野分――立ち読み

文: 深緑 野分

電子版16号

「別冊文藝春秋 電子版16号」(文藝春秋 編)

 ダイニングテーブルには、クロワッサンを小さくしたような形の菓子ルゲラーと、具を包んだ三角形のクッキー、ハマンタッシェンを並べた白い皿が並び、父がコーヒーを注いでいる。ひと口食べると、菓子は記憶にあるままの味がした。さっくりしたペイストリーの中に潜んでいる、甘いシロップが染みこんだ杏と干し葡萄、胡桃。

「おいしい」

「よかった。ディナーもたっぷりあるから、あまり食べすぎないでね」

 マチルダは台所に置かれた、ぱんぱんに詰まった紙袋を見た。両親は私を待っていたのだろう。お菓子を拵えて、温かな夕食も作って――平静を装っていても、内心では三人ともそれぞれに、互いの距離を測るので必死だった。昨日の晩は何を食べて、今朝は何を飲んで、母さんと父さんはどう? まるでチェスのようだとマチルダは思った。一手一手、用心深く。

 十一年前、マチルダが無断でニューヨークに旅立った時、間違いなく両親は怒り、嘆いただろう。しかし再会した今、誰も感情を爆発させない。「あんたときたら、親を騙して出て行って、十一年間何をしていたの!」と罵られた方が、いくらかマシだったかもしれないと、マチルダは思った。

 当たり障りのないことをしゃべり、甘くて可愛らしい菓子をおそるおそる口に運ぶマチルダの姿に、両親も悟ったようだった。ずっと黙っていた父がコーヒーカップを置いて、静かに話しはじめる。

「君がいなくなった時、私は怒りにまかせて君を勘当しようと考えた。しかし母さんが私を説得して思いとどまらせたんだ。私たちは君の一番の理解者であるべきだったのに、君を拒絶したのだから、この結果は当然だと言ってね」

 ややうつむいて、目と目を合わさずに話すが、それはむしろとても父らしいと感じた。マチルダの視界が急に歪み、温かい涙が一筋、頬を伝った。

「……ごめんなさい」

 それで、セジウィック家に十一年もの長い時間横たわっていたわだかまりは消えた。

 悪い想像ばかりを膨らませていたマチルダにとっては、拍子抜けするほどあっけないものだった。記憶の中の父、ジョー・セジウィックは気むずかしく生真面目で、保守的な人間だ。母はともかく、父とはそう簡単に和解できないだろうと思っていた。しかし父はあっさりとマチルダを赦し、受け入れた。

 何が父を変化させたのだろう。マチルダはふたたびナイフとフォークを動かし、小さく切った肉を咀嚼しながら、父の姿をこっそり観察した。もともと線の細かった体つきはますます頼りなく、背中が丸まり、肌はしわとしみが増え、眼鏡は度が合っていないのか、何を見るにも両目を忙しなく瞬かせた。たるんだ口元にグレービーソースが跳ね、ゆっくりとした緩慢な動作でナプキンを持ち上げ、拭こうとする。その拍子にフォークが落ち、父の代わりに母が拾い上げた。

 夫婦はすっかり年老いていた。マチルダはふたりの姿に、心細かったのは私だけではなく、両親もなのだと気づいた。指先さえ触れ合ったら、後は手をつなぐだけだ。

別冊文藝春秋からうまれた本



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