連載

『人生初の心霊体験』喜多喜久――別冊コラム「あの日」

別冊文藝春秋 電子版16号

喜多 喜久
「別冊文藝春秋 電子版16号」(文藝春秋 編)

 あれは、二〇〇〇年の八月十五日(正確には十六日)のことでした。

 当時、僕は大学四年生で、配属先の研究室で卒業研究に励んでいました。

 はじめての研究活動は非常に楽しく、やりがいに溢れたものでした。実験を始めて四ヶ月と少し。ちょうど面白い成果が出そうだったので、僕は帰省もせずに、ひたすら毎日実験に明け暮れておりました。

 二十世紀最後のお盆であるその日も、僕は二学年上の修士二年の先輩(♂)と二人で、深夜まで実験をしていました。研究室のスタッフが帰ったあとは、音楽を掛けながらノリノリで作業をするのが定番で、実験台の上のラジカセからは、先輩が自ら編集し、CDに焼いたモーニング娘。の曲が流れていました。

 異変は何の前触れもなく起こりました。時刻が深夜二時を回った頃、軽やかにリピートされていた「恋のダンスサイト」の曲の途中に、突然、男性の叫び声が混ざったのです。

「おい、今のなんだよ」

 先輩はラジカセに駆け寄ると、CDを取り出して傷を確認してから、再び同じ曲を再生しました。すると、さっきの叫び声は消えてしまっていました。

 二人きりの実験室に流れる、あまりに陽気すぎる曲を聞きながら、先輩は青い顔で言いました。

「……あの人の魂が、この近くにいるのかもしれない」

 聞けば、数年前に、研究成果を出せないことに心を病んで、実験室のある建物の屋上から飛び降りた学生がいたそうです。誰かが研究でいい結果を出しそうになると心霊現象が起こるそうで、先輩は「きっと死んだ学生の霊が邪魔をしているのだろう」と説明を締めくくりました。

 僕は人生初の心霊体験に大変にビビりまして、その出来事以降、大事な実験はなるべく昼間にやるように心掛けました。幽霊も、明るくて騒がしい場所には現れにくいだろうと考えてのことです。

 その作戦が功を奏したのか、その後はもう、奇妙な現象に遭遇することはありませんでした。

 これだけならちょっとした怪談で終わるエピソードなのですが、この話には後日談があります。

 事件から半年後。卒業を間近に控えた先輩が、飲み会の席でぽろりと告白したのです。「悪い。あれ、実はイタズラだったんだ」と。

 先輩は申し訳なさそうに、ネタばらしをしてくれました。あの日、先輩は全く同じ曲目のCDを二枚準備していました。叫び声のあるものとないものです。トリックはシンプルです。僕がトイレで席を外したタイミングでCDを心霊バージョンに入れ替える。そして、叫び声が流れた直後にラジカセに駆け寄り、傷を確認する振りをして元の声なしCDに戻す。たったそれだけのことでした。ちなみに、自殺した学生のエピソードも作り話だったそうです。

 先輩はただ僕を驚かせたかっただけで、他意はなかったと言っていました。「大事な実験は人のいる時にやる」という僕の心霊対策は、全くの無駄だったわけです。

 しかし、今になって思うと、意外とこれは大事な方針なのではないだろうかという気もします。もしそういうルールがあれば、最近なにかと話題になる、科学研究における捏造や改竄も、多少は抑制されるでしょうから。

きた・よしひさ/一九七九年徳島県生まれ。東京大学大学院薬学系研究科修士課程修了。『ラブ・ケミストリー』(原題『有機をもって恋をせよ』)で、第九回「このミステリーがすごい!」大賞・優秀賞を受賞。著書に「化学探偵Mr.キュリー」シリーズ、『創薬探偵から祝福を』『アルパカ探偵、街をゆく』『リケコイ。』など多数。


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別冊文藝春秋 電子版16号文藝春秋・編

発売日:2017年10月20日