2017.12.20 書評

桐野文学の主題である「支配」の構造の最も純粋化された短編集

文: 白井 聡 (政治学者)

『奴隷小説』(桐野夏生 著)

『奴隷小説』(桐野夏生 著)

 桐野夏生氏の作品を読む度に思うことがある。多くの識者がすでに指摘していることであるが、平成の世にプロレタリア文学があるとすれば、それは桐野氏の作品群ではないのか、と。もちろんそれは、内からは「党派性と芸術性」という不毛な二項対立に引き裂かれ、外からは直接的な政治暴力によって抑圧され潰えていった文学史上のそれとは異なる。しかし、現代作家のうち、桐野氏こそ「階級」に、「搾取」に、より一般的な言い方をすれば「構造的な支配」に、最も強くこだわっている書き手ではないだろうか、と私は思うのである。

 かつ、『O‌U‌T』や『メタボラ』といった重厚な長編作品において典型的だが、「支配」の問題系は、多層的に構成されている。「資本と労働」、「親と子」、「男と女」、「美女と醜女」、「日本人と外国人労働者」、「本土と沖縄」、「沖縄本島と離島」、「カネを貸した者と借りた者」、「異性愛者と同性愛者」といった具合にである。こうした複数の支配・被支配の構造を生きる人間が、支配のもたらす軋轢のなかで呻吟しもがくさまを、桐野氏は残酷なまでに精緻に描き出す。その筆の圧倒的な力は、読者をグイグイと引き込まずにはいない。

 そうした地獄めぐりの絵巻に時代性を刻印する役割を果たしているのは、「家庭の崩壊」という主題である。戦前のプロレタリア文学が「自らを縛る鉄鎖以外には失うべきものを何も持たない」階級を人類史の担い手として登場させた文学であったのとは対照的に、桐野氏の作品世界に登場する「崩壊した家庭」は、中流階級にしばしば属する。その構成員たちは、安定した収入をもたらす仕事、持ち家、子供への高等教育といった、戦後日本の「一億総中流」社会において広く行き渡ったものを得ているか、あるいは当然手に入れるはずであると心得ており、それらが家庭に幸福をもたらすものであると信じている。

 しかし、かかる信仰こそ、平成の時代において無残なまでに破壊されたものだった。「失うもの」を持った中流階級――それは20世紀後半において、旺盛な消費によって経済成長の推進力であり、生活保守主義に基づく穏健さによって安定した民主政治の担い手であると褒めそやされた、あたかも人類史の担い手であるかのごとくに――が、いったん持ったものを手放さざるを得なくなれば、いかに脆い存在にすぎないか。そして、それら中流階級の標たるものが家庭に幸福をもたらすという観念が空疎な思い込みにすぎず、その幻想を無理にでも維持しようとすれば、人々がいかにますます深く泥沼にはまり込んでしまうものであるか。この残酷な事実を、桐野氏はあくことなく読者に突きつけてきた。


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