2018.01.11 別冊文藝春秋

『跳ぶ男』青山文平――立ち読み

文: 青山 文平

電子版17号

 八右衛門の語りを、又四郎はじっと聴いている。又四郎はすべてを跳ね返す風除けになるのではなく、通すべき風は進んで通す簾であろうとしているようだ。

「肥前守殿の父君はあの松浦静山侯で、御正室は老中首座を務められた松平信明様の妹御でございます。すなわち、次の御老中と目される京都所司代、松平信順様の叔母に当たられるということです。加えて、肥前守殿の御正室も守国公、かの寛政の改革を率いられた松平定信様の御息女でございます。おのずと当家の殿席である柳之間ではこの二家に重心がかかることになります」

 そこまで語ると、八右衛門はひとつ息をつき、剛が事の次第を了解している様子をたしかめてからつづけた。

「それを念頭に置いていただいた上で、冒頭に触れた『もう、おひと方』に話を進めたいのですが、この御方については、それがしよりも鵜飼からご案内さしあげたほうが適切でありましょう。ひとことだけ、それがしから申し上げれば、その御方は当家にとって、修理大夫殿や肥前守殿よりもさらに大きな重心になろうということでございます」

 言うと、八右衛門は又四郎に目を遣り、又四郎が柔らかく受けた。その遣り取りから、二人は似ていないけれど仲間であるらしいと識れた。なにげない目配せのうちに、容易には切れぬ紐帯が見てとれる。あるいは撫で肩で色白の八右衛門も、又四郎が二名の藩士を斬殺した場に、似合わぬ本身を手にして立っていたのかもしれない。

「申し上げるまでもなく、殿席は朝廷より頂く武家官位と、譜代外様の別によって分けられております」

 あたかもずっとそうしてきたかのように、又四郎は恭しく説く。江戸に着いたときより、又四郎は臣下の言葉遣いに変わった。二人だけで居るときも、けっして崩そうとしない。そうして、息をするときも藩主であれ、と圧する。けれど、搦手から入る話し振りは変わらない。目付の御役目を離れても、要る話も要らぬ話も語り、そして語るときは要らぬ話から入る。

「柳之間には、従五位下で外様の大名が控えます。その『もう、おひと方』……三輪藩の望月出雲守景清殿にしても、従五位下で外様であることにまちがいはないのです」

別冊文藝春秋からうまれた本


こちらもおすすめ
ニュース「別冊文藝春秋」最新号(2018年1月号)、好評発売中(2018.02.15)
別冊文藝春秋『跳ぶ男』青山文平――立ち読み(2018.01.11)
別冊文藝春秋『跳ぶ男』青山文平――立ち読み (2017.11.09)
別冊文藝春秋『跳ぶ男』青山文平――立ち読み(2017.09.20)
書評武家のアイデンティティ・クライシス(2015.03.29)
書評ラスボスを捕えよ(2013.12.13)
書評妻はなぜ駆け落ちをしたのか?(2012.07.11)
書評青山文平という可能性……… 『白樫の樹の下で』から『かけおちる』へ(2012.06.21)
別冊文藝春秋 電子版17号文藝春秋・編

発売日:2017年12月20日