2018.04.19 別冊文藝春秋

『戯れの魔王』篠原勝之――立ち読み

文: 篠原 勝之

電子版19号

「別冊文藝春秋 電子版19号」(文藝春秋 編)

 足元に転がっている胡桃はみんな半分に割れている。カラスが咥えて上空からコンクリートの橋を目掛けて落とし、割れた胡桃の中身を難なく啄んだからだ。割れずに転がっていた胡桃を橋から蹴り落とす。ポチャンと落ちて川面の流れに身を任す胡桃を見失うまいと、眼でしっかりと追う。押し流されて小さな段差に巻き込まれ、淀みに流れ込み、グルグル回りながら老眼の彼方に遠ざかっていく。あの胡桃はまだどこかの淀みに漂っているのか、河原に打ち上げられてもう芽吹いているのか。はたまた腐って水底に堆積しているのか。


 甲斐駒ケ岳の麓を横切る渓流が小さな段差になった河原に発育不全のアカマツ林があり、その隙間から見え隠れしている空に溶け込んだ大きな直方体が、二十年ほど前に建てたオレの作業場である。

 地元の土建屋と大工や作業員らを掻き集め、仮設の現場社屋用の鋼板をリース屋から安く手に入れ、補強にはH鋼を多用して構造検査を通過させた。

 斑に見え隠れしていた錆びた鉄壁は、建物の上半分にアクリルの鏡板を貼り巡らせて林の中に埋没させ、性懲りのないオレの重厚長大なゲージツ三昧をアカマツ林に隠ぺいしたつもりだった。

 この直方体が取り壊される日まで、作業場の上半分の鏡板には青空なり曇り空が映しこまれるわけで、現実に存在していながらも、山岳の風景からは消え去る仕掛けだ。

 自然を味方にその中に溶け込んでしまおうとする企みは、子供っぽい願望でもあったが、この作業場はたしかにオレ自身が再生するための最後の砦になっていった。


「立派なサチアンが出来たのにヘナチョコのアカマツじゃ寂し過ぎるずら」

 年長の土工のサブ兄ィは、自らが関わってやっと立派な作業場が完成したというのに、周りのチョロマツが貧相で不満のようだ。

「バカタレがぁ、サチアンはねぇだろ。ここで倒れるまで創り続けるっちゅう覚悟で建てた作業場だぞ」

 オレはちょっとムキになっていた。

 ちょうどその頃、山をいくつも越えた集落にある巨大なプレハブの建造物を機動隊が取り囲み、何機ものヘリコプターが空に舞っていた。修行の道場や、謎の薬品工場などが集まった施設にカナリアの籠を先頭にした機動隊が突入し、ヘッドギアを被った男女や紫色の服を着た教祖と呼ばれる男が検挙され、『サティアンついに強制捜査』などと連日テレビや新聞のトップを賑わしていた。一日に何度もテレビに映し出される巨大プレハブの安普請は確かに怪しい。

別冊文藝春秋からうまれた本

別冊文藝春秋 電子版19号文藝春秋・編

発売日:2018年04月20日