2018.04.27 書評

貞淑な妻の鑑、「性」に翻弄される女――周五郎が描いた、きら星のごとき女性たち #3

文: 沢木 耕太郎

『おたふく』(山本周五郎 沢木耕太郎 編)

『おたふく』(山本周五郎 沢木耕太郎 編)

【2よりつづく】

「ちゃん」

 これを分類すればいわゆる「人情物」ということになるのかもしれない。

 重吉はうだつの上がらない職人で飲んだくれの「ちゃん」だ。

 いや、その定義は間違っている。稼ぎは少ないが、火鉢づくりの腕は確かな職人だし、月に何日かは飲んだくれるが、それ以外の日は素面で良い父親でいる。

 そのことを長屋の住人はみな知っており、だからこそ暖かい眼で見守っているし、なにより家族のみんながよく理解している。妻も幼い伜や娘たちも。

 せっかく手に入れた手間賃で飲んだくれ、金を使い果たしてしまった夜、重吉が家に帰ってきたときに入り口の戸の前でくだを巻くときの台詞がこうだ。

《「銭なんかない、よ」と重さんがひと言ずつゆっくりと云う、「みんな遣っちまった、よ、みんな飲んじまった、よ」》

 この読点「、」の打ち方がすばらしい。あの、酔っ払いの、いまにもしゃっくりが出そうな、もったりとしたしゃべりの呼吸が見事に伝わってくる。

 金のない父親に、まだ少年の伜の良吉が、自分で稼いだ金で飯屋に連れていき、酒をおごるというシーンがある。

「ちゃんは酒だ、肴はなんにする」

 そこには息子が自分の父親に奢るという誇らしさのようなものが滲んでおり、その父親も戸惑いながらも嬉しさを覚えて酒を飲みはじめる。

  こうしたシーンがひとつひとつ提示され、心を深く動かされるクライマックスまで「人情物」の階段を一歩一歩上っていく。

  そして、最後に父親が言う。

「おめえたちは、みんな、ばかだ」

 すると子供が応じる。

「そうさ、みんな、ちゃんの子だもの」

 とりわけ、要所要所に出てくる幼い娘のおしゃまで舌足らずな物言いが、この作品を御伽噺のようにふくよかな香りを持つものにしている。

《「たん」もちろん父の意味である、「へんなって云ってゆでしょ、へんな、たん」》

 そう言って、家に入りにくいためくだを巻いている、酔っ払いの父親を家の中に入れるのだ。

 山本周五郎が河盛好蔵との対談で述べているところによれば、これらの台詞は、意外にも創作ではなく、馬込の文士村に住んでいた頃、実際に水道工事を生業としている親子の口から出ていたものだったという。

 だが、かりにそうだったとしても、これは、裏長屋という花のお江戸のワンダーランドに山本周五郎が見事に咲かせた小さくも美しい花であるだろう。



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