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貞淑な妻の鑑、「性」に翻弄される女――周五郎が描いた、きら星のごとき女性たち #3

貞淑な妻の鑑、「性」に翻弄される女――周五郎が描いた、きら星のごとき女性たち #3

文:沢木 耕太郎

『おたふく』(山本周五郎 沢木耕太郎 編)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

『おたふく』(山本周五郎 沢木耕太郎 編)

 この夫と妻に魅力を感じたのは読者だけでなく、作者の山本周五郎も同じだったらしく、一年後に同じ主人公夫婦をふたたび登場させて、「雪の上の霜」を書いている。これも「雨あがる」と同じように、ずば抜けた武芸の力によって仕官が可能になりかかるが、やはりそのやさしさによって望みから遠ざかってしまうという結構を持っている。「雨あがる」と同工異曲の作品と批判されるかもしれないが、やはり物悲しくも心温まるという読後感をもたらしてくれる佳品となっていると私には思える。


 ところで。

 昭和の映画界における大スターのひとりに高峰秀子がいる。

 私は高峰秀子の自伝『わたしの渡世日記』の文庫版で解説を書くことを依頼されたというところから、晩年の高峰さんと親しくさせてもらう契機を得た。

 常に切れ味のいいポンポンとした喋り方をする女性で、会うと必ずからかわれたり叱られたりしたものだった。

 高峰さんはあまり多くの時代劇映画には出演しなかったし、私も一作も見てはいなかったが、なぜか高峰さんに会ったり、高峰さんのことを思い浮かべたりすると、江戸時代に生きていた女性とはこのような人だったのではないだろうか、という気がしてならなかったものだった。

 江戸の長屋のおかみさん。江戸の商家の内儀。江戸の御家人や旗本の奥方。どれもふさわしい。もっとも、大名の正室や側室、大奥の上臈などとなると、少し違ってきてしまうような気もするが。

 たまたま高峰さんは麻布のある町の一丁目一番地に長く住んでいた。だからというわけでもないのだが、そのカラッとした潔い生き方を含めて、私にとって、江戸の女性の一丁目一番地に位置するのは高峰秀子なのだ。

 ところが、この『おたふく』に収録された山本周五郎の短編に出てくる女性たちを思い浮かべながら、高峰さんに役を当てはめようとしても、なかなかふさわしい役が見つからない。

 かろうじて、「あだこ」のおいそなら若いときの高峰さんが演じることができるかもしれないし、「ちゃん」のお直も、もう少しきつめの台詞を増やすことで演じ切ることができるかもしれないが、あとの女性は、少なくとも「適役」ではない。

 そう見ていくと、高峰さんのような、チャキチャキした口調で、機転の利く賢さを持ち、きついけれどやさしいという女性は、この『おたふく』の巻に収められた山本周五郎作品の中の女性とはかなり距離があるということになるのかもしれない。

 つまり、もし私が、高峰さんのような女性を「わたしの江戸おんな地図」の一丁目一番地に置くとすると、『おたふく』の女性たちは他の町にいることになるような気がするのだ。

 高峰さんが住んでいた麻布の町の、その近くの町の一丁目一番地には「松の花」のやすがいる。すると、菊千代が住むべき町は……などと考えていると、瞬く間に時間が過ぎていってしまう。

文春文庫
山本周五郎名品館Ⅰ
おたふく
山本周五郎 沢木耕太郎

定価:935円(税込)発売日:2018年04月10日

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