作品紹介

92歳「渡る世間は鬼ばかり」の人気脚本家が語る究極の往生論
衝撃の問題提起で2016年「文藝春秋読者賞」受賞!

著者が「終活」を始めたのは89歳の時でした。きっかけは著者のことをママと呼んで親しくしている女優の泉ピン子さんから「ママはもう90なんだから、じゅうぶん歳を取ってるんだよ」と言われたことでした。夫に先立たれ、子供もなく、親しい友人もいない天涯孤独。仕事もやり尽くし、世界中の行きたい所へも行きました。やり残したことも、会いたい人もいない、もう十分に生きたと思いました。遺言は80歳の時に作っておいたので、まずは物の整理から始め、今までのドラマの原稿、ビデオテープ、手紙類などを大量に処分しました。あとは人に知られずにひっそりといなくなり、死んだことも公表せず、葬式や偲ぶ会もしないと決めたのです。
ただ、唯一気がかりなことは、病気になったり、認知症になったりして、人さまに迷惑をかけることです。それは著者の尊厳の問題でした。死ぬ時に痛いのや苦しいのも勘弁してほしい。いつどうやって死ぬのかはやはり自分で決めたいと思った時に考えたのが「安楽死」です。しかし、現在の日本の医療現場で安楽死は許されていません。ヨーロッパの国やアメリカの州のいくつかで合法化されていますが、日本人が安楽死を希望する場合はスイスのNPOを頼ることになります。そのため著者は、日本でも法を整備し、自らの死に方を選択する自由を与えてほしいと主張します。もちろん、あくまで本人が希望し、周りの人の理解が得られた場合です。
著者が2016年12月号の「文藝春秋」に寄稿した「私は安楽死で逝きたい」は大きな反響を呼び、第78回文藝春秋読者賞を受賞しました。読者の方からは「私も賛成です」「法制化の旗振り役になってください」など多くの賛同の声が寄せられました。本書には、病気で苦しむ妻に悩む男性や、進行性の難病を抱える男性と著者との手紙の対話も収録しています。

担当編集者より
病気になったとき、認知症になって自分自身のことが分からなくなったとき、どのように最期を迎えたいと思うでしょうか。立つ鳥跡を濁さずというのは日本人の美徳の一つ。子供や他人に厄介をかけず、苦しまず逝きたいと考える人が増えてきています。そんな世の中にあった小さな声を代弁したのが本書です。医療といえば延命という常識はまだ続きそうですが、今後は「渡鬼」の英作さんのように、看取り医も増えるのかもしれません。
目次
はじめに
第一章 戦争で知った命の「軽さ」
「死ぬなんて当たり前だった」戦争体験
特攻隊員に渡したふるさとへの切符
焼け焦げた死体がゴロゴロ(他)
第二章 命とは誰のものか
「ママはもう九十なんだから」
俳優さんの手紙、ハンドバッグ百二十個を処分
私の役目は終わった
葬式はしないで!(他)
第三章 人間の尊厳とはなんだろう
夫にがん告知しなかった苦しみ
どうせ死ぬのなら、最期までタバコを
文學者之墓へ時計を入れる(他)
第四章 私は安楽死で逝きたい
相続相手もな無し、自分で作ったお金だから、使い切って死にたい
楽しく過ごして、終わればお別れ
身内よりお手伝いさんが楽
自分のお金は自分の人生に使う(他)
第五章 死に方を選べる社会を
昔の医者は「看取り」専門だった
患者の心を見ない医者たち
看取り医の未来――『渡鬼』の本間英作に込めた思い(他)
第六章 二十歳になったら、死を見つめよう
予想していなかった反対や懸念の声も
自殺原因の半数は健康不安
貧困が原因になってはダメ
二十歳の誕生日に、死について考えよう(他)
付録・読者メッセージとの対話
あとがき
商品情報
書名(カナ) アンラクシデシナセテクダサイ
ページ数 224ページ
判型・造本・装丁 新書判
初版奥付日 2017年08月20日
ISBN 978-4-16-661134-8
Cコード 0295

著者

橋田 壽賀子

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