書評

「さらり」の陰に潜む「ぐさり」

文: 芝山 幹郎 (評論家)

『映画の話が多くなって 本音を申せば9』 (小林信彦 著)

 だが、「さらり」の陰には「ぐさり」が潜んでいる。年季の入った見巧者の鋭い眼はもちろんのこと、幼いころから娯楽の水をたっぷり浴びてきた遊び人ならではの深い洞察を読み流してしまうのは、あまりにももったいない。いくつか例を挙げよう。

《マーティン・スコセッシは……(中略)……「ディパーテッド」でアカデミーの監督賞を得たあたりから、おかしくなった。今年も3D映画で作品賞候補になっているが、3D映画が「夢だった」とは程度が低い。リトル・イタリー物に戻るしかないだろう》

 という痛烈な批判。あるいは、二〇一二年に亡くなった淡島千景の魅力を、

《獅子文六が〈キャサリン・ヘップバーンとクローデット・コルベールの間に君の道がある〉と色紙に書いたが、淡島みずから〈日本的でない顔〉を意識していた》

 と要約する読みの鋭さ。さらには、新藤兼人の本領が《すぐれた“脚本家”》であることを指摘し、マキノ正博の『鴛鴦(おしどり)歌合戦』に触れて、《要は歌入り喜劇であり、〈ちょっと面白い〉ぐらいなのである。(改行)ひとがミュージカルと軽く言うのがわからない。これはまず〈センス〉の問題であり、役者が歌ったり踊ったりするからミュージカルというわけではない》と苦言を呈するくだり。

 どれも的を射ている。昨日今日の映画ファンなら調子に乗って寝言を口走りそうなところで、玄人ならではの一撃を浴びせ、飄然と去っていく。こういう姿を見ると、小林さんには「単騎のガンマン」的な体質がいまなお残っているという気がする。いま紹介した批評以外にも、

《人ぎらいの渥美清が好きなのは、植木等、三木のり平、藤山寛美の三人だったのである》

 とか、

《日活には他にも良い監督がいたということだ。(改行)たとえば、「拳銃(コルト)は俺のパスポート」の野村孝や「縄張(シマ)はもらった」の長谷部安春のような監督たちで、これらの作品・監督に目くばりをしておかないと、日活映画という不思議な“もの”は評価できない》

 とか、

《校舎のあちこちでおこる出来事を、複数の生徒の視点から眺めた映画が〈桐島〉だろうが……(中略)……カットごとに少年少女たちの言葉や走る意味が変って見える。いわゆる学園物がタイクツになるのは、少年や少女の走る意味が一つだからで、この映画では、それらの行為が一つではない》

 とか、思わずにやりとしたくなる言葉が随所にちりばめられている。一階級上の説得力、というべきだろうか。

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映画の話が多くなって 本音を申せば9
小林信彦・著

定価:本体610円+税 発売日:2016年01月04日

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