2006.01.20 書評

シャイロックの末裔

文: 池井戸 潤 (作家)

『シャイロックの子供たち』 (池井戸潤 著)

 かつてK商という小さな会社に融資していた。大阪の支店でのことだ。

 新人融資係だった私は、その店で約二百社の融資先を先輩と二人で担当していた。先輩が外訪をし、そこでまとめてきた融資案件を私が稟議するのだ。稟議を書く仕事をする担当者のことを「稟議方」という。かつて稟議方が花形だった時代もあるが、当時はもう花でもなんでもなく、新人なんか外を回らせたらどんなババを掴んでくるかわからないから中で稟議でも書いていろ、という程度のことだった。

 そしてK商は、小規模、ついでに業績もイマイチだったので、「お前が面倒を見ろ」と押しつけられ、私の専管先になっていた。

 当時としては珍しい女性の社長。ついでに五十代、独身、バツ一。これで美人だったらいうことないが、現実にはそううまい話はなくて、まあどこにでもいそうな大阪のオバチャン。美しさよりも丈夫さがウリの容姿である。

 そんなわけで私はちょっと引けていたのだが、Kさんのほうでは私のことを気に入ってくれ、よく食事に誘われた。気乗りしないものだから、あれこれ理由をつけて断っていたのだが、ある冬、ついに断り切れなくて心斎橋の店に蟹を食いに行った。

 私も図々しいほうなので、そのときはまあ、よく食った。もう見たくないと思うほど蟹を食い、二人してよく飲んだ。男勝りで色気の欠片もないKさんも、女だと思ってなめられたらあかん、とわざと豪快に振る舞っていたのかも知れない。

 帰りがけに「みやげでも持ってきや」と、バッテラと高級ウィスキーを紙袋に入れてくれた。二人して上機嫌で店を出る。ところが難波まで歩いて地下鉄の階段を降りようとしたとき、かなり酔っぱらっていたらしい私は、手を滑らせて紙袋を階段に落とした。

 ガツン、という瓶が床にぶつかる嫌な音がした。だがそれよりも、同時にあがった、「キャッ」というまるで女のような(まあ、女だけど)Kさんの悲鳴のほうに私は思わずハッとさせられたのである。それはKさんが唯一見せた、女らしい一瞬だったからだ。

 ゆうべ蟹をごちそうになった、と翌日先輩に話したら、少し怖い顔をして「気を付けろよ、あの会社、危ないから。癒着になるぞ」といわれた。

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シャイロックの子供たち
池井戸潤・著

定価:本体630円+税 発売日:2008年11月07日

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