書評

まがいもののベートーヴェンを造出した現代人の病根

文: 神山 典士

『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』 (神山典士 著)

 言うまでもなく佐村河内は、全聾という障害を纏うことによって物語に付加価値をつけ、そのイメージを肥大化させていった。けれど皮肉なことにそれは、楽曲制作をめぐる2人のやりとりのデータを克明に残すことでもあったのだ。

 新垣は、佐村河内との関係は極秘だからと、この電話の存在は友人知人家族にも知らせていなかった。だからそこには、ただただ佐村河内からの指示のデータだけが残ることになった。15年ものながきに渡って。

 それだけではない。週刊文春誌上で発表する前、私と佐村河内がやりとりした内容もデータで残っている。そこでも佐村河内は「のりおさん、私に死ねというのですね」と自死を仄めかしてきた。すかさず私は、「いえ、18年かけて嘘をついてきたのだから、18年かけて罪を償って復活しましょう」とメールした。結果的には、それも虚しいことになってしまったのだが―――。

 人間の記憶は風化するし、時にはバイアスがかかる。だがデータは正直だ。大久保家とのやりとりも含めて、18年間に渡って築き上げられた虚構の裏側のデータを全て入手したことで、作品としての厚みに繋がったことは間違いない。

 さらに、この作品の最後の句読点を打ったあと、私は次の試みに着手している。

 1つは、「新垣隆と楽しい仲間たち」というタイトルで、来年から春と秋の2回、全国を廻って室内楽コンサートを行う企画だ。ここでは必ず1曲以上、新垣の新曲が発表される。現存する作曲家が紡いだ新曲演奏を目撃するという、クラシックの新しい楽しみを多くの人に味わってほしい。

 そしてもう1つ、今回浮かび上がった「ゴーストライティング」という問題に関する今日的な私論を、多くの方への取材を通して発表したいとも思う。

 1つの作品は、否応なく社会とのかかわりの中で生まれてくる。主体的にそれとかかわることで、また新しい豊穣な物語が生まれてくる。その連鎖をノンフィクションと呼ぶのだと、私は思っている。

ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌
神山典士・著

定価:本体1,500円+税 発売日:2014年12月12日

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