書評

司馬史観、日露戦争について
理解を深めるための貴重な一冊

文: 東谷 暁 (ジャーナリスト)

『文藝春秋にみる「坂の上の雲」とその時代』 (文藝春秋 編)

 ロシア側の記録としては、バルチック艦隊の幕僚ポリトゥスキーが妻に送った手紙が収録されている。この手紙は『坂の上の雲』に頻繁に引用されたが、ごく最近までインターネット上の私家版訳で熱心な読者に読まれてきたにとどまる(長村玄『リバウからツシマへ』文生書院として刊行)。次の手紙は、マダガスカルで書かれたものだ。この時、旅順がすでに陥落したことはバルチック艦隊にも知らされている。

  〈極東に於ける我が戦艦の全滅と旅順陥落後は万事、根本的に一変した。今や我等は極東に急ぐの必要を失った。……我が不幸なる祖国の残艦は悉(ことごと)く港内に集合している。我等は既に一箇月前、タンジエールに於て別れた諸艦と此処で会合したのである。露国のものとして残る諸艦はみな此処に集った。これらも亦(また)何等の名誉もなく、恥ずべき滅亡を追わんとするものではないか。ああ我が諸艦は大海軍滅亡の大悲劇の最後の一幕を演ぜんとするものに非ざるか?〉

 日露の海戦については、当時の兵曹・機関兵・水兵が参加した座談会「実戦中心の日露海戦勇士の『話』の会」が、近代海戦というものの過酷なむごたらしさを余すところなく語っている。まず、朝日に乗り組んでいた山本半二の証言から、旅順港閉塞戦における広瀬武夫の最期を読んでみよう。

  〈一等機関兵曹の小池が「やられました」と云うと、「そうか元気を出せ、代れ代れ」と云ったか云わぬ瞬間、「ウーン」と云う声だか、呻きだか分りませんが、鈍い叫びと共に、ふと私が頭を上げると、少佐の首は見えず、真赤な血が、モクモクと首元から湧(あふ)れ出ると見る中に、その胴体がコロリと海に落ち込んでしまいました。それは一瞬間の出来事です〉

 日本海海戦の前哨戦となった黄海海戦で、八雲に乗り組んでいた住吉富蔵の証言を読んでみよう。戦闘中の食事であるビスケットと砂糖を食べようと皆でテーブルについたとき、敵の六インチ砲の砲弾がもぐりこんできて内部で破裂した。

  〈その破裂した場所が恰度(ちょうど)十五六人列(なら)んでいるまん中です。それでみんな両脚を掻っ払われちゃった。それが重要な下士官ばかりでした。……渡邉啓四郎という人が弾が中(あた)ったまん中に居ったものですから、乳から下が全部なくなった。……一番ひどいのは工藤了之助という人が両脚をやられて、こんな体で生きていたって仕様がないからといって将校のつけて居った短剣を取って割腹しようとした。それをやらせまいとする。その工藤という人は気が遠くなっていよいよやりきれぬというので、万歳々々々々々々で死んでしまった〉

 こうした戦場の生々しい証言に衝撃を受けるが、同時にポーツマス講和会議で交わされた背後の暗闘についての証言にも愕然とさせられる。ハーバード大学を出て金子堅太郎の側近を務め、小村寿太郎外相の秘書官として活躍した阪井徳太郎の「明治の指導者」は、ポーツマス講和会議の舞台裏を知る上で欠かせない。

  周知のように、金子はセオドア・ルーズベルト米大統領のハーバード大学の同級生ということもあって、日本とロシアとが講和をむすぶための仲介役をアメリカ合衆国が果たしてくれるよう依頼し、日本の内情についても可能な限り話していた。そうすることが、ルーズベルトのさらなる信頼を勝ち得ると信じていたからだった。

文藝春秋にみる「坂の上の雲」とその時代
文藝春秋・編

定価:1700円(税込) 発売日:2009年11月21日

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