特集

烏の山

文: 阿部 智里

八咫烏シリーズ幕間

八咫烏シリーズ幕間『烏の山』<br>文:阿部智里 画:松崎夏未

「ねぇー、もう諦めて戻ろうよ。ウチ、いいかげんおなか空いたんだけど」

 日は翳っているが、エアコンを全力にしても依然として車の中は蒸し暑い。

 助手席からの不機嫌な声に、将平はイライラとハンドルを指先で叩いた。

「戻るったって、もう予約しちゃってるんだから仕方ないだろ。あと少しくらい我慢しろって」

「あと少しって、さっきから何回言ってんの」

 迷ってんのにかっこつけちゃってバッカみたいと鼻で笑われ、この女、今すぐここに置き去りにしてやろうかと思った。

 初めてのボーナスを頭金にして将平が車を買ったのは、つい一月前のことである。

 それを知り「これからは二人でいっぱい色んなところに行けるね」と一番喜んでいたのは隣にいる彼女だったはずなのだが、蓋を開けてみればこのざまだ。

 今思えば、「新車じゃないんだ」とがっかりされた時点で気付くべきだったが、冷静になればこの女、性格からしてとんだブスだ。もはや、やたらと長い睫毛すらヒジキに見える。

 東京に戻ったら絶対こちらから振ってやる、と決意を固めて見やった外はしかし、鬱蒼とした山林が広がるばかりである。

 どうやらカーナビの地図情報が間違っているようだと分かってから、かれこれ一時間が経過していた。本来であれば、とっくに蕎麦が美味いと評判の温泉宿に着いているはずの時刻である。

 もとから車に搭載されていた古いカーナビで、精度には若干の不安があったのだが、もっと早くに見切りをつけるべきだった。携帯で位置情報を確かめようとしてみたら、圏外と表示されたのには本気でうんざりさせられた。こうなったら来た道を戻るのが一番確実なのだろうが、彼女の言う通りにするのはどうにも癪である。

 せめてどこかで道を訊けないかと思っていると、不意に視界が開けた。

 黒々とした山並みに囲まれたそこは、西日を反射してきらきらと光っている。

 湖だ。

「あっ」

 あそこ、と女が弾んだ声を出して窓の外を指さす。

「なんか、湖の上にちっちゃい神社があった! 近くに家も見えたよ」

 旅館ってあれじゃないの、と弾んだ声で言われるが、あらかじめ調べた限り、湖や神社に関する情報はなかったはずである。

「とりあえず行ってみよう」

 少なくとも、久しぶりに目にした人家なのは確かだ。地元の人間に近道を教えてもらおうと、将平は湖畔に向かうと思われる脇道へとハンドルを切った。

 両側を山に挟まれた細い坂道は、舗装もされていない。

 車体が揺れる度に助手席から聞こえよがしな悲鳴が上がったが、無視してどんどん進んで行くと、最初に見えたものと思しき集落を視界に捉えた。

 シミひとつない白い壁が眩しい、真新しい民家が整然と立ち並んでいる。

 その家の前の広場では、鮮やかな色の服を着た十人ほどの子ども達が、楽しそうな声を上げて遊んでいた。どうやら、鬼ごっこをしているようだ。

 しばらくは暗い緑しか目にしていなかったので、それだけでホッとするような光景である。

 子ども達は、将平達の乗った車が近付いて来るのを見るや、ぴたりと遊ぶのを止めた。

 将平は、子ども達のいる広場の前の道に車を止め、窓を開く。

 途端に流れ込む夏の空気に辟易しつつも、意識して感じのよい笑みを浮かべた。

「こんにちは」

 一声かけると、子ども達は次々に挨拶を返して来た。

「コンニチハ」

「コンニチハー」

 元気がいいね、と外面のよい隣の彼女がニコニコ笑う。

「ちょっと教えて欲しいんだけどさ、この辺りに、にごり湯の里って温泉宿がないかな」

 子ども達は沈黙している。

「あの……にごり湯の里って分かる? 道を聞きたいんだけど」

 聞き取れなかったのだろうかともう一度言うが、子ども達は何も言わない。

 黙ったまま、ただただこちらを見据えている。

 こんなに見つめているのだから、無視されているというわけでもないだろうに、どうして何も言わないのだろう。

 不審に思った将平は、ふと、広場に隣接する家の窓から、誰かがこちらを覗いていることに気が付いた。

 そこにいたのもまた、子どもだった。しかも、一人じゃない。

 未就学児と思しき小さな子から、小学校高学年くらいに見える子どもまで、小さな窓にへばりつくようにして、ずらりと顔が並んでいる。

 そのいずれも、こちらを無表情で、じっと見つめているのだ。

 何か、居心地の悪いものを感じて目を逸らし、ぎょっとする。

 広場の反対側に位置する家の、一階の曇りガラスと、二階の出窓と思しきところにも、同じようにして子どもの顔が並んでいる。

 村の過疎化が叫ばれている昨今、山奥の辺鄙な村にしては、いやに子どもが多くないか、と思った。

「コンニチハー」

 目の前の子どもが、再び大声で挨拶し、思わずビクリと体が震える。いきなり何だ、と八つ当たりぎみに腹立たしく思ったが、最初の一人の木霊のように、周囲の子ども達も次々と声を上げ始めた。

「コンニチハ」

「コンニチハ」

「コンニチハー」

「コンニチハ」

「コーンニチハー」

「コンチハ!」

 子ども達は笑み一つ浮かべないまま、叫ぶようにして「こんにちは」を連呼している。将平が返答しないのにもかかわらず、まるでそれが彼らの義務であるかのように、何度も何度も、執拗に繰り返す。

 尋常ではないその様子に、自然と全身に鳥肌が立つのを感じる。

 そして何度も繰り返されるうちに、気付いた。

 彼らの言葉は、不自然に訛っている。

 最初は田舎だからかとも思ったが、なんというか、イントネーションでは片付けられないような、妙なぎこちなさと硬い響きがあるのだ。

 外国人の日本語初学者か、もしくは、合成音声でしか話せないロボットででもあるかのような。

「コーンニーチハー」

「コンニチハー」

「コンニーチハ」

 将平が困惑しているうちに、家の中にいた子ども達までもが、ぞろぞろと外に出て来た。

「ねえ……」

 隠しようもなく震える声を掛けられて、何だよ、と助手席を振り返る。

 すると彼女は真っ青な顔をして、子ども達ではなく、フロントガラスから上のほうを見上げていた。

「あれ」

 示された方向に視線をやった途端、「ひっ」と情けない悲鳴が喉奥から吹き上がる。

 

 そこにいたのは、何十羽もの烏であった。

 

 弱った獲物が息絶えるのを待ちわびるかのように、この車の上を数え切れないほどの烏が旋回しているのだ。

 金色の斜陽を含んだ雲をバックにして、翼を広げた影はやけに大きく感じられた。黒々とした羽を翻し、その羽音すら聞こえて来そうな頭上を、烏達は低空飛行し続けている。

 しかもこちらが気付いたと見るや、それまで静かだった烏達は一斉に鳴き始めたのだ。

 カア。カア。カア。

 ガーア。

 ガア。

 グアアア。

 ガッガッガッ。

 会話するように鳴き交わし、まるで将平達を監視するかのように、ぐるぐると車の周囲を回り続ける。

「こんにちは」

 唖然としている将平達に、不意に穏やかな声が掛かった。

 声の主は、この村に来て、初めて見る大人であった。

 広場横の家の勝手口から現れたその男は、ぴしりとしたワイシャツとスラックス姿で、満面に笑みを湛えていた。優しそうな、中年男性である。しかしその大人の挨拶は、なめらかな日本語であったにもかかわらず、それまでの誰の挨拶よりも違和感があった。笑顔のまま、まっすぐに将平達のもとに向かって歩み寄って来る。

 そして、彼が声を発した瞬間、それまであれほどうるさかった烏達が、がなりたてるのをぴたりと止めた。子どもも同様に、大人が出て来た瞬間に挨拶を止め、口を閉ざしたのだ。

 子ども達は、まるで訓練された兵士か、そうなるように本能に刻み込まれた鰯の群れのような動きで大人に道を譲った。

 モーセが海を割るかのように、車と大人を結ぶ道が自然に現れる。

 男は笑っている。にこにこ、にこにこと。

 その背後で、大きな目を零れ落ちんほどに見開いて、ずらりと並んだ子ども達が真顔でこちらを見つめている。

「将平……!」

 女の悲鳴で、我に返った。

「出して、早く!」

 急いでギアをバックに入れ、力一杯にアクセルを踏み込む。

 ギャリギャリと小石を噛んで空転するタイヤがもどかしく、しかし猛烈な勢いで子ども達と一人の大人は遠ざかっていった。道幅があるところで慌ててユーターンし、最後にバックミラーを見ると、道まで出て来て、いつまでもこちらを見送る彼らの姿があった。

 無我夢中で走っているうちに、いつしか、烏の姿は見えなくなっていた。気付けば全身が冷や汗でびしょぬれで、もう、旅館への道を探す気力はすっかり失せていた。

 それからどうやって自宅まで戻って来たのか、記憶は定かではない。

 ただ、知っている駅が見えた時点で彼女は車を降り、こちらが何かを言う前にキレ気味に別れを告げられたのは確かだった。その直後に着信拒否をされたので、キャンセルの連絡もしなかった旅館の代金二人分は、結局将平一人が払うことになってしまった。

 つくづく、さんざんな連休である。

 ――だが、それからしばらく経っても、あのおかしな村のことは、将平の頭からこびりついて離れなかった。

 まるで白昼夢のように思えてならないのに、あまりに強烈過ぎて、忘れたくても忘れられないのだ。週末、仕事から帰って来た将平はふと思い立ち、大学時代から使っているノートパソコンを立ち上げ、位置情報ごとに路上パノラマ写真を提供するサービスへとアクセスした。

 缶ビールを片手に、運転時の記憶を辿りながら地道に探し続け、数時間かけて、ようやくあの湖とおぼしき場所を見つけだした。その湖上に、小さいが浮島と神社、それに繋がる橋のようなものを確認し、ここに間違いないと確信する。画面をクリックし、先日と同様に山に入っていく坂道を見つけ、ディスプレイ越しに村へと近付いていった。

 しかし次の瞬間、将平は自分の目を疑った。

 

 そこに広がっていたのは、一面の焼け野原だった。

 

 壁が美しかった家など跡形もなく、無残に黒こげとなった家々が並んでいる。

 どうやら火事の後、長いこと放置されている場所のようで、炭となった柱の周囲を茶色の枯れ草が厚く繁茂していた。

 撮影車はそれ以上立ち入らなかったのか、村の入り口より先へは進めないようである。

 画像を撮ったのは冬だったらしい。

 冬の白けた曇り空の下、黒々とした木立と真っ暗な焼け跡がやけに鮮やかで、痛いくらいに寒々しい。ぐるりとパノラマの視点を操作した将平は、つと、焼けた家と家の間に、人影があることに気が付いた。

 それは、一人の少女だった。

 ひどく遠目なので、それが高校生か、中学生かは分からない。ただ、紺色の制服と思しき服と、肩にかかるくらいの長さの髪は見て取れた。顔と手の先と足だけが、やけに白く浮き上がっていて、なんとも寒そうだ。

 そしてその少女は、まっすぐにこちらを見つめていた。

 いや、正しくは、この画像を撮ったカメラを見ているのだろうが、将平はなぜかその姿を見た途端、彼女は“自分を”見ている、と直感した。

 ぞっとした。

 心臓が早鐘を打っている。

 何を馬鹿な、冷静になれと心の中で繰り返し、画面の下部に示された位置情報から住所をコピーして、検索窓に貼り付ける。

 そうして出てきたのは、随分前に起こったという、火災事故についての記事であった。

 大規模な落雷によって、湖畔の村ひとつが丸々焼けてしまったのだという。だが死者が出なかったせいか、火災の規模の割に扱いは小さく、地元の新聞で掲載された小さい記事しか残っていないようだった。

 そこに書かれているのが、やはりあの村であると確認し、もう一度パノラマ写真を見ようとウィンドウを切り替える。

 一瞬、何が起こったのか分からなかった。

 そこに写っていたのは、綺麗に整備された、新築の家々だった。

 遊ぶ子どもや異常な数の烏がいないことを除けば、先日、将平が目にしたのと全く同じ光景が広がっている。だがほんの数分前まで、ここに写っていたのは荒れ果てた村の焼け跡と、一人の少女だったはずだ。

 混乱のまま、何度か更新をかけるが、それから何度も見直しても、そっけない村の光景は変わらなかった。

 住所は勿論同じであるし、それ以上進めないこと、家と廃墟の配置が合致していることからしても、さっき見ていた場所から動いていないはずである。

 唖然とした。落ち着こうと口にしたビールは、すっかりぬるくなっている。

 酔っ払ったせいだと思いたいが、むしろいつもよりも頭は冴えていた。そんな誤魔化しは効かないほど、すっかり酔いはさめてしまっている。

 あそこに、本当に存在しているのは、火事の跡の廃墟なのか、はたまた、新しい家の集落なのか。

 何が真実だ? 自分は一体、何を見たんだ?

 分からない。恐ろしい。でも、分からないままでは、この先ずっと恐ろしいままかもしれない。

 ――もう一度あそこに行って、確かめてみるべきだろうか。

 そういった考えが頭をかすめた瞬間、閃くように脳裏に浮かんだのは、あの廃墟の中からこちらを見つめる、制服姿の少女だった。

 その白い顔と黒い双眸が、不思議とはっきり目に見えた気がして、我に返ると、震える手でパソコンの履歴を出し、検索結果を消去していた。そのままアパートの隣の駐車場に停めてあった車へと向かい、カーナビの走行経路も一斉消去する。

 そうして部屋に戻って、ようやく、随分としばらくぶりにまともに息が吸えたような感じがした。まるで肩の荷が下りたかのように、体が軽くなった心地さえする。

 それ以降、あの村へ行ってみようとは二度と思わなかった。

画:松崎夏未
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