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西郷隆盛、そして作家・葉室麟の遺志「わが国は道義の国でなけりゃ、ならん」

西郷隆盛、そして作家・葉室麟の遺志「わが国は道義の国でなけりゃ、ならん」

文:内藤 麻里子 (文芸ジャーナリスト)

『大獄』(葉室 麟)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

『大獄』(葉室 麟)

『大獄』の単行本が刊行された直後の一七年十二月二十三日、六十六歳で葉室さんはこの世を去ってしまった。今のこの時代にとって、葉室さんによる明治維新の見直しがどれほど重要な仕事だったか、今更ながらに思い知らされる。「道義の国」について、葉室さんの肉声でもっと説明を聞きたかった。改めてその不在が惜しまれてならない。

 最後に、明治維新のとらえ方をながめてみよう。

 維新といえば薩摩藩と長州藩だが、『大獄』は安政の大獄の前から始まる。まだ長州藩は姿を見せない。葉室さんはこの頃から維新につながると見ていたわけだ。

 将軍継嗣問題とアメリカとの通商条約締結を絡めた一橋派と南紀派の暗闘は、手に汗握る緊張感だ。斉彬と吉之助、春嶽と橋本左内に敵対するは井伊直弼と長野主膳、水野忠央。いずれ劣らぬ実力と見識を持つ人々の対立が端的につづられ、尊皇攘夷派、佐幕派、開国派入り乱れた複雑な情勢が、すんなりと読める手際は見事としか言いようがない。

 そして安政の大獄で保守的な開国派の直弼が、開明的な開国派の斉彬、春嶽らをつぶした構造を繰り返し述べている。戊辰戦争をしないですんだかもしれないいくつかのターニングポイントが、かかわる人物のめぐりあわせや、ボタンの掛け違いなどで潰えていく。この歯がゆさも幕末物の真骨頂ではあるまいか。

『天翔ける』は、維新を幕府の要人側から描いたものだ。彼らが果たした役割は決して小さくない。しかし、後に矮小化される。そのことを重ねて糾弾する。

〈大政奉還、王政復古にいたる流れでは、実権は島津久光を始めとする春嶽や容堂らいわゆる賢侯にあったが、新政府成立後、志士上がりの官僚たちが、すべては自分たちの功績であったかのように主張していく〉

〈いずれにしても明治初年に尊攘派以外の政府要人はしだいに遠ざけられ、その後、明治維新は尊攘派による革命であったかのように喧伝されていくのである〉

 正史に埋もれた歴史を語るのは、小説の大切な役割だ。こぼれたところを正当に位置づけることによって、今の世に欠けていた観点をすくいとってみせる。

 さて、『大獄』は「西郷青嵐賦」とあるように、まだまだ青春時代の西郷さんだ。続編を考えていたであろう。長州藩が出てくるのはこれからだ。指針を示す斉彬を失った西郷の行く末の物語は、読みたかったとは思うが、西南戦争での最期を知るだけに読むのがつらくなっていたかもしれない。

 しかし、こうも考えられる。後の維新の経緯は『天翔ける』で述べられている。西郷隆盛について書くべき肝は、『大獄』に凝縮されていると言っても過言ではない。両作で忘れられていた国づくりの指針も示した。とすると、急ぎ過ぎたけれど、葉室さんは書くべきことは最低限書いたと言ってもいいのかもしれない。後はわれわれが何をくみ取るかだ。

 そう考えると、『大獄』と続く『天翔ける』は、葉室麟という作家の遺志を宿す、誠に重要な作品だということがよくわかるのである。

文春文庫
大獄
西郷青嵐賦
葉室麟

定価:737円(税込)発売日:2020年12月08日

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