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夢を見ているのは誰か

夢を見ているのは誰か

文:京極 夏彦 (小説家)

『夢見る帝国図書館』(中島 京子)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

『夢見る帝国図書館』(中島 京子)

 日本における“書籍”受容の歴史は、とても面白い。尤も、どんな業種もそれぞれユニークな来歴を持っているのだろうし、僕は他の文化圏の出版事情に精通している訳ではないから、果たしてそれがどの程度特殊なものであるのかは判らない。しかし小説を書くことを生業とし、“本”を読むことに人生の半分を溶かしてしまった僕のような人間にとって、それは単に面白いというだけに留まるものではないのだ。知る度にこの世の仕組みの幾許かを垣間見るような気持ちになるのである。

 敢えて“出版”文化の発展とせずに、“書籍”受容の歴史としたのには、理由がある。勿論、江戸と呼ばれている時代から明治大正を経て現在に至るまでの出版業態の変遷は極めてダイナミックである。版元が出版・印刷製本・取次ぎ・小売り、そして古書販売業に分化していく過程――所謂近代出版文化史は、それだけで大変に興味深いものだ。だがそれは、多くの場合作る方、売る方の視点で語られることが多いものであり、ともすると買う方、読む方――読者の存在は忘れられがちになる。

 とはいうものの、ビジネスモデルというのは当然ながら市場の動向に根差して形成されるものなのだから、ユーザーの在り方が無関係という訳ではない。本を買うという行為、読書という文化の醸成が、ダイレクトに反映していることは間違いない。

 だが。

 買うまでのこと、読んだ後のことは、あまり顧みられない。とはいえ読書子にとってそこは実のところ何よりも問題となるところではあるまいか。買うのにはお金がかかるし、所持するには場所が要る。“本”を巡る悩みごとの九割はそこではないか。

 本来、“本”は商材ではなかった。それは記録でしかなかった。仏典にしても漢籍にしても、一般人が読むものではないし、況て購入し、所持するものではない。和漢典籍を蒐集・所蔵したということでは、北条実時の金沢文庫が嚆矢として挙げられることが多いのだが、いうまでもなくそれは個人の蔵書とは一線を画するものだ。権力者だったり僧侶だったり儒者だったり、蒐書に手を染めた人は古来幾人もいる訳だけれども、それもまあ、僕らのようなその辺の人ではないのだ。

 蔵書という概念が一般の生活者にまで敷延されるのは、やはり明治を待たなければならない。“売る/買う”というシステム構築に関してはどちらが先とも言えないのだけれど、“所持する”行為が発生するのは確実にその後である。明治以降、学儒から好事家に、そしてその辺の僕らへと、蔵書という疾は広がったのだ。

 告白するなら、僕は「その図書館にしか所蔵されていない本が読みたい時」以外に図書館を利用しないという半生を送ってきた。それは、今もそうである。別に図書館が嫌いな訳ではなく、ただ、読んだ本はなるべく手許に置いておきたいという困った性向を持っていたからに過ぎない。読みたい本は買う。食事を抜き、乏しい家財を売り払ってでも資金繰りをして、買う。なければ探す。探して、探して、何年かかろうが見付け出して、買う。工夫に工夫を重ね、技巧を磨き手間をかけて、整理収蔵をする――それが正しい在り方だなどとは微塵も思っていない。それは単に、僕にはそうした癖があるというだけのことなのだ。だから、図書館に敬意を持っていなかった訳ではないし、まして否定的だった訳では、決してない。

 それでも、そんな僕は図書館に関して些か冷淡であったと思わないでもない。

 僕も明治期の書籍事情に関わる小説を書いている。執筆に当たって書籍館/帝国図書館の成立や変遷はもっと知っておくべきだと考えた。建物の構造や所在地、収蔵目録の遍歴などは興味深いものだったし、永井久一郎や田中稲城にも強く魅かれた。

 関わった人物、収蔵されている書籍、立地や設備、そして存続を賭けた攻防――そうしたものに関しては、逐一面白く感じたものだし、様々な知見を得ることもできたと思う。でも、図書館“そのもの”に関してはどうだっただろう。

 ただの公共機関としか考えていなかったのではなかったか。

 鎌倉時代の金沢文庫とそう違わないものとして捉えていたようにも思う。

 まるで違うというのに。

 そして僕は、本書を一読してはたと膝を打った。

 書籍館/帝国図書館の歩みは、まさに明治以降、書籍という魔物に取り憑かれた者ども――読書する者どもの歩みそのものではないか。

文春文庫
夢見る帝国図書館
中島京子

定価:891円(税込)発売日:2022年05月10日

電子書籍
夢見る帝国図書館
中島京子

発売日:2022年05月10日

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