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麻布競馬場「令和元年の人生ゲーム」ついに最終話!

麻布競馬場「令和元年の人生ゲーム」ついに最終話!

麻布競馬場

麻布競馬場「令和元年の人生ゲーム」最終話

出典 : #WEB別冊文藝春秋
ジャンル : #小説 ,#エンタメ・ミステリ

第四話

 2023年4月、僕は「すぎの未来を考える会」にジョインした。
 杉乃湯はこうえんにあるにせ銭湯で、最近はDJイベントを開催したり、ライフスタイルブランドとコラボしてオリジナルTシャツを売ったりと、いわゆる「意識高い系銭湯」としてカルチャー感度の高い若者たちの間で徐々に注目を浴びつつある存在だった。
「杉乃湯は1933年に曾祖父のともやすが創業し、今年で創業90年を迎えます。東京では1週間に1軒の銭湯が潰れているという逆風のタイミングではありますが、この歴史ある杉乃湯が無事に創業100年を迎え、そして今後200年、300年と続くよう、ぜひ若い皆さんの力を貸してください」
 土曜日の朝、営業前の浴場にプラスチックの椅子を並べて「考える会」の決起集会が開かれた。杉乃湯の四代目オーナーである乃木ひろさんの言葉を、10名ほどの若者たちが目を輝かせながら聞いている。この「考える会」は、20代のクリエイターやエンジニアなんかが集まって、杉乃湯を盛り上げるためのイベントの企画やECサイトの運営をしたりするボランティア集団だった。去年の春に明治大学を卒業し、せんに本社を構えるPR会社に勤めている僕は、与えられた仕事を持ち前の器用さによって順調にこなし、社会人2年目にして早くも暇を持て余していた。特に銭湯が好きという訳でもなかったが、会社の同期のなべから「いい経験になるんじゃないか」と誘われて、「考える会」への参加を決めたのだった。
 今年34歳になったばかりだという寛人さんは、附属小学校からエスカレーター式に進学したせいけい大学を卒業後、ベンチャー企業をいくつか渡り歩いたのち、2年前から若き当主として杉乃湯にジョイン。最初の頃は昔ながらの銭湯経営を行っていたようだが、半年ほど前から新しい改革やチャレンジをいくつも断行し、新規客を増やすことに成功していた。そんな経歴を聞くと、いかにも若き改革の旗手といった感じだが、彼は長年続くファミリービジネスの正統な後継者だ。杉乃湯のそれなりに広い敷地も乃木家の所有だそうで、彼のそんな育ちの良さは、優しい垂れ目の福々しい顔や、常に柔和な語り口からもじんわりと滲み出ていた。
「では、具体的な会の活動内容については、僕から説明しますね。考える会では、これまで寛人さんと僕の二人でやってきた活動を拡大しつつ、着手できていなかったオウンドメディアやインターンシッププログラムの立ち上げなども……」
 杉乃湯のスタッフなのだろうか。寛人さんの隣に立っていた男が突如として割り込んできたかと思うと、今後の活動頻度や連絡手段などの説明をテキパキと進めていった。真っ白なリネンの開襟シャツを着たその男は、理路整然としたハキハキとした喋り方が印象的だ。隣で腕を組む寛人さんのいかにも安心したような表情を見るに、彼は寛人さんが全幅の信頼を置いている参謀のような存在なのかもしれない。
「ああ、すみません。自己紹介が遅れましたが、去年の年末から杉乃湯にジョインしているぬまと言います。よろしくお願いします」
 その男は両目を不器用に閉じたり開けたりしていたかと思うと、ソフトコンタクトを乱暴に取り出した。「すみません、まだ不慣れで」と穏やかな口調で言ったきり黙ってしまい、指先でまるまったコンタクトを、充血した目でじっと眺めている……。しかし、その間も彼は場違いなほどに爽やかな笑顔を貼り付けていた。

「いやぁ~、今日も最高に気持ちいいなぁ~。銭湯は色々行ったけど、杉乃湯が一番落ち着くよね。なんでだろう、やっぱり客層かなぁ」
 翌日の日曜日。昼過ぎから杉乃湯でやっていたマルシェイベントの手伝いを終えたあと、真鍋と僕は打ち上げに行く前にひとっ風呂浴びることにした。真鍋は「カルチャー感度の高い若者」の常として、町中華やナチュラルワイン、シティポップやY2Kファッションに至るまで、とにかくカルチャーの匂いのするものには片っ端から手を出していた。去年まで熱烈なサウナーだったはずの彼は、サウナブームがアーリーアダプターだけのものではなくなってきたタイミングで見切りをつけ、銭湯にくらえしたようだった。「高円寺住んでるのに杉乃湯知らないの⁉ マジで人生の半分損してるって」と、ここの存在を教えてくれたのも彼だった。
 高円寺駅北口から7分ほど歩いたかんせいな住宅街の中に杉乃湯はある。都内にはビルやマンションの1階に入っているような銭湯も少なくないが、杉乃湯は神社仏閣を思わせる宮造りの木造平屋の中にあった。白く塗装された高い天井には、湯気を抜くための天窓が取り付けられている。窓から差し込む光がピカピカに磨かれた床や壁の白いタイルを照らし、水面から立ち上る水蒸気の粒がぼんやりと発光している。そんな美しい銭湯は、今日もほとんど満員だった。おそらくは近所に住んでいるであろう老人と、真鍋みたいなミーハー精神でわざわざ他の街からやってきた若者たちという対照的な人々。最近ではサウナ目的の若者ですし詰めになっている銭湯も多い中、杉乃湯にはサウナがない。お風呂も名物のミルク風呂(牛乳が入っているわけではなく、ワセリンや鉱油を混ぜ込んでいるために白く濁っている)と温度が低いぬる湯、それから水風呂があるだけだった。ただ、落ち着いた高齢客が静かにお風呂を楽しんでいる雰囲気は何物にも代えがたく、僕は週に2、3回はここに通っていたのだった。最近は、若者が増えたせいでやや騒々しい雰囲気になり、「昔の方が落ち着いたんだけどねぇ」と休憩スペースで愚痴を言い合う老人客たちの姿を、僕も何度か目撃していた。
 口には出さなかったけれど、「考える会」にジョインしようと真鍋が言い出したのは、きっと僕らが共有していたある種の危機感のせいだったんじゃないだろうかと僕は考えている。賢い僕たちは、大学を出て社会人生活も2年目に入った頃にはもう、自分の人生に残された可能性の総量を早くも理解しつつあった。僕は明治、真鍋はりつきようと、大学までは悪くなかったけど、どちらも第一志望の広告代理店には落ちて、滑り止めだったいまのPR会社に入った。社会人1年目の間は、二人で飲んでいると自然と転職活動の話題が出ていたが、第二新卒で入れる会社にはロクなところがなかった。かといって今の会社に残ったところで、年収も、残せる功績も、先輩たちを見ていればだいたい予想がついた。だからこそ僕たちはこの「考える会」の活動を通じて、銭湯のマーケティングというニッチ市場に精通するとか、単純に他の同期よりも面白いことをして目立つだとか、僕らの合理的な推論に基づく未来像を覆すものを、とにかく探し回っていたのだ。

「おっ、『考える会』の連中じゃないか! どうだ、クラフトビールおごってやろうか」
 お風呂上がりに番台にいた寛人さんと立ち話をしていたら、ちょうどからさわさんが男湯のれんをくぐって出てきた。僕たちはその厚意に甘えることにして、真鍋と一緒に「ゴチになります!」と頭を下げた。高円寺生まれ高円寺育ち、御年67歳になるという唐沢さんは、気さくな人で、杉乃湯に通い始めたばかりの頃から「おう! 前も会ったよな」なんて休憩スペースで話しかけてくれる。彼はいつでも昔のドラマでキムタクが着ていたような少し懐かしい感じのアメカジを着ていて、だいぶ薄くなった髪は白髪染めなのか茶髪にしていた。今日も例に漏れず、軽くダメージの入ったデニムに黒いTシャツ、上にはピンクが基調のチェックシャツを羽織っている。
「唐沢さんくらいですよ、クラフトビールを置くことを怒らないどころか、毎日のように飲んでくれるのは。支払い、いつも通り楽天ペイでいいですか?」
 寛人さんの言葉に、おうと応じながら、唐沢さんは手慣れた様子で最新型のiPhoneを決済端末にかざした。ピッ、と明るい電子音が鳴り、唐沢さんから僕たちによく冷えたクラフトビールの缶が手渡される。カラフルなデザインのこのクラフトビールは、なんと1缶700円もする。うめの老舗酒蔵の新商品だそうで、寛人さんはどこかの勉強会だか交流会だかで知り合ったそこの酒蔵の八代目に営業されるがままに仕入れたようだった。残念ながら、ほとんど売れていないようだったけど。
「ほんとヒロちゃんは偉いよなぁ。この電子マネーのおかげで財布も持たずに来られるようになったんだ。新しく覚えなきゃいけないことが多いって番台のババァスタッフたちがギャーギャー抵抗したのを、どうにかして導入したんだろ? 伝統産業だ、老舗だって変化を拒んでるようじゃ、未来はないよ。あと何年生きてるかも分かんない老人たちのことは無視して、どんどん新しいことをやってくれよ! 杉乃湯を五代目に引き継ぐためにもよ」
 プルトップを引き起こしながら、唐沢さんはそう熱弁した。どうも彼は常連客たちの中でも飛びっきりの改革派らしく、その事実を誇るように、左手を腰に当ててクラフトビールをグビグビと飲んだ。寛人さんは、そんな唐沢さんに「気が早いですよ」と苦笑いしていた。
 五代目——。寛人さんには学生結婚した同い年の奥さんがいるが、二人の間にはまだ子供はいなかった。三代目のふみさん(つまり寛人さんのお母さんだ)はまだまだバリバリの現役だったし、「子供が生まれて、ベンチャー企業で成長を求めて深夜まで働くことと、育児にコミットすることの両立が不可能だと悟った」みたいな分かりやすいストーリーを持たない彼がなぜ実家に戻ってきたのかと言えば、「家業を、それも銭湯を継ぐってエモいじゃんって、友達に言われた」からだと何かのインタビュー記事で読んだ。とにかく、寛人さんは杉乃湯の裏に二世帯住宅を建てて、そこに両親と妻と一緒に住み、家から徒歩15秒の杉乃湯で第二の人生をスタートしたのだった。ただ、寛人さんが忙しそうに働いているのを僕は見たことがなかった。いつも昼過ぎに裏手のスタッフ控室にやってきて、前日の売上の数字を確認して、簡単な事務作業を済ませると、「今夜は、地方創生プロデューサーと会食なんだ」とか言いながら嬉しそうに出かけてゆく。いったい、さっき唐沢さんが褒めていた電子マネー対応や、寛人さんが「僕が全部自分でやりました」みたいな顔であちこちのインタビューで語ってきた杉乃湯のチャレンジの数々は、誰が実現させたんだろうか?
「そういえば寛人さん、僕たち二人はオウンドメディアのチームに入ろうと思うんです。PR会社でクライアント企業のブランド価値向上に貢献する仕事をしているから、きっとそのスキルやナレッジはライティングのフィールドでも活きますよね。僕は編集長にも立候補するつもりです!」
 アルコール度数の高いクラフトビールで気が大きくなったのか、真鍋は横文字マシマシでイキった報告を寛人さんにぶちかましていた。
「へぇ、いいね! オウンドメディアは、以前、有名なクリエイティブ・ディレクターの人に勧められてからずっとやりたかったことだから、賛同してくれる人がいてくれて嬉しいなぁ。銭湯のオウンドメディアなんて聞いたことないから、きっと日本初の面白い試みになるよ」
 寛人さんがこうやって優しく激励してくれるのだから、僕たちはますます期待に胸を膨らませてしまった。その後の定例ミーティングでチーム決めをして、オウンドメディアチームには僕と真鍋を含め4人のスタッフが参加することになった。話し合いとジャンケンの結果、真鍋が無事に編集長に就任することが決まり、「みんなで力を合わせて、伝説に残るオウンドメディアを作り上げましょう!」と息巻いていた。

 その日を境に、考える会の活動は本格始動した。毎週土曜の午前中に行われる全体ミーティングのほかに、チームごとの自主的な打ち合わせも適宜行われていた。僕たちオウンドメディアチームは真鍋編集長の指揮のもと、高円寺のあちこちの飲み屋でブレストと称して飲み会をやったり、そこで出たアイデアをもとに各自が記事案を書いてシェアしたりと、活発に活動していた。
「ほんとに、僕なんかがトップバッターでいいの? オウンドメディアを立ち上げようって沼田くんと話してたのも、別にうちのブランディングのためじゃなくて、銭湯業界全体を盛り上げる公共的なメディアが欲しいよね、って理由だったから」
 5月のはじめの晴れの週末。取材現場となる営業前の浴場で、襟に「昭和八年創業 高円寺杉乃湯」と白抜きされたはつを着た寛人さんは、恥ずかしそうに笑いながら言う。メモを片手に準備万全といった様子の真鍋は、まるで決めゼリフみたいに気取った口調で言い返す。
「もちろん、寛人さんの提灯記事にするつもりはありませんよ。僕は、寛人さんがこのオウンドメディアにつけてくれた『銭湯のミライ』という名前がすごく気に入ってるんです。いろんな銭湯の経営者や銭湯ライター、それから老若男女問わず、銭湯好きの常連たちも含めて、銭湯を取り巻く様々な人たちの声を拾い上げ、その集積の中から銭湯のミライを見出す——どうです、メディアとしてこれ以上ない完璧なストーリーでしょう?」
 真鍋のものすごいドヤ顔には吹き出しそうになったが、たしかに彼の言う通り完璧なストーリーだと思った。寛人さんも同感のようで、「いいじゃん! 面白いね、ぜひそうしよう」と満足げだった。

真鍋:では、改めてですが……寛人さんのことを初めて知る読者の人もいるでしょうから、自己紹介からお願いします。
寛人:乃木寛人です。ここ高円寺で90年続く老舗銭湯「杉乃湯」の四代目です。最近は、CSOという肩書きを名乗っています。
真鍋:CSOというのは、何なんですか?
寛人:Chief Storytelling Officerの略です。仲良くしてる組織コンサルの人から教えてもらった概念で、元々の意味はよく知らないんですが、僕はこれを、杉乃湯、いや銭湯という場の持つ本質的な価値をみんなに伝える役割だと解釈しています。
真鍋:では、寛人さんが考える「銭湯という場の持つ本質的な価値」とは、一体どんなものでしょう?
寛人:とても平等、つまり大変フラットな場所ですよね。偉い人も偉くない人も、強い人も強くない人も、銭湯に入ればみんな、ただの裸の入浴客。これまでの経験や社会的地位なんかのことはいったん忘れて、ただ清潔で気持ちのいいお湯に浸かって、スマホもいじらず、過去のことも未来のことも考えず、ボーッと時間を過ごす。銭湯があれば、極端な話、この世界から戦争をなくすことすらできると思うんです。
真鍋:戦争……?
寛人:はい、どんなに対立して嫌い合っている人でも、二人で銭湯に入ってのんびりと時間を過ごし、お風呂でとりとめのない会話を交わしているうちに、争うことなんて馬鹿らしいと思ってもらえるんじゃないかと、僕はでそう思ってるんです。だから、杉乃湯を通じて成し遂げたいことは何かと聞かれると、僕は毎回「世界平和です」って真面目に回答してるんです。どこのメディアも、その言葉を記事にしてくれないけど(笑)

 そこまではどうにか食らいついていた真鍋も、寛人さんのあまりにアクロバティックな論理展開に振り落とされてしまったのか、助けを求めるように僕のほうに不安げな視線を送ってきた。でも、僕としてもこの場をどう収拾していいものか分からない。浴場には気まずい沈黙が落ちた。
「……寛人さん、こちらを」
 その時一枚のA4用紙を差し出してきたのは沼田さんだった。さっきまで浴場の入り口に立って腕を組んで取材を黙って見守っていたが、この不思議な空気を見かねて助け舟を出しにきたらしい。寛人さんの手に渡ったコピー用紙を覗き込むと、あらかじめ真鍋が作っていた質問リストと、寛人さんが答えるべき内容がみっちりと記載されていた。
「ああ、沼田くん、いつも悪いね。身内の取材だからと油断してたけど、僕はやっぱり口下手だなぁ。CSO失格だよ」
 素直に反省しているのだろう、寛人さんは申し訳なさそうに頭をポリポリと搔きながら、「ありがとね、いつも」と付け加えた。沼田さんは沼田さんで、いつもの爽やかな笑顔のまま、寛人さんに向かって小さく頷いた。カンニングペーパーのおかげで、取材は突如として円滑に進み始めた。

「しかし沼田さんは本当にすごいですね。マーケティングから現場のオペレーション改善まで、何でもできちゃうんだから! やっぱり元パーソンズ新人賞は違うなぁ。杉乃湯がここ半年で新しい取り組みをいっぱい始めて、若い新規客が一気に増えたのも、全部沼田さんのおかげなんでしょ?」
 1時間ほどで取材が終わったあと、奥さんと出かける予定があるという寛人さんを除くメンバーで駅前の沖縄料理屋さんで打ち上げをすることになった。真鍋は早速、沼田さんのファンになったらしい。過剰なまでに褒めちぎる真鍋に、沼田さんは相変わらず爽やかな笑顔のまま謙遜してみせた。
「やめてくださいよ、照れるじゃないですか。手を動かしてるのは僕ですが、ああしたい、こうしたいを正しく決めてくれる寛人さんがいるからこそ、僕はこうやって変化を生み出すことができているんです。僕はむしろ、寛人さんに感謝してますよ。寛人さんのおかげで、僕はなりたい自分になれたんですから」

 沼田さんが杉乃湯にジョインするまでの経緯については、決起集会の日の飲み会で真鍋が本人に尋ねていた。沼田さんは「去年の秋ごろ、職場でちょっとした環境の変化があって。それで僕は、ビックリするほど簡単に潰れてしまったんです」とだけ教えてくれた。いつも通りの爽やかな笑顔を維持したまま、平然と語るその様子にさすがの真鍋も絶句してしまい、それ以上何も聞けなかったようだ。ただ、理由はさておき、とにかく沼田さんは去年の11月にパーソンズエージェントをやめて、入居していたシェアハウスからも出ないといけなくなったらしい。その後、彼は高円寺のはずれの風呂なしアパートの一室に住んで、杉乃湯と寛人さんのために甲斐甲斐しく奉仕する生活を始めたようだった。
 マルシェイベントの誘致も、ECサイトの立ち上げも、DJイベントのブッキングも、クラフトビールの販売も、電子マネー対応も、どれもCSOであるところの寛人さんが「面白いんじゃないかな」と思い付きを軽々しく口にしたものを、沼田さんが一つ一つ丁寧に拾い上げて形にしていったということのようだった。考える会が立ち上がったあとも、回っていない業務があれば進んで巻き取ったりと、彼は相変わらず滅茶苦茶に働いていた。僕たちが運用するオウンドメディアだって、沼田さんから「コストや自由度を色々と比較しましたが、noteの法人プランが一番よさそうでしたよ。寛人さんの許可も得ているので、僕の方で申し込み手続きを進めておきます」と、完璧にお膳立てしてもらっていたのだった。

 しかし、そんな日々の中で沼田さんは辛そうにしているかというと、彼の顔にはむしろ、いつだって笑みが浮かんでいた。どこか人工的な雰囲気すら感じる、あの笑顔。
 その奥に、僕は不穏な陰を感じることが何度かあった。例えば、こんな事件があった。土曜日の昼さがりに僕と真鍋が休憩スペースで風呂上がりのクラフトビールを楽しんでいたら、ラッパーみたいな男が訪ねてきたのだ。
「寛人くん、いる? 今日アポ取ってたというか、呼び出されたんだけど」
 男はハイブランドのバケットハットからパーマのかかったロン毛をだらりと覗かせ、首にはぶっといゴールドのチェーンをかけている。おそらく僕と同い年くらいの男の馴れ馴れしいタメ口に、番台バイトのおばちゃんは困惑してしまっていたから、僕と真鍋は顔を見合わせて立ち上がった。まずは真鍋が、探りを入れるようにおずおずと話しかける。
「すみません、どなたですか? 寛人さんは、えっと、インフルエンサー事務所の人とランチ会食に出ていて、まだ戻ってませんけど」
「はぁ? 何だよアイツ。13時に来いって呼びつけられたから、こっちは青梅からわざわざ出てきたってのに! 誰か代わりに話せるやつ呼んでこいよ」
 彼はラッパーでもなんでもなく、寛人さんがクラフトビールを仕入れている、あの青梅の酒蔵の跡取り息子らしい。乱暴な口ぶりではあったが、彼が見せてくれたLINEのトーク画面によると、たしかに寛人さんからビールの仕入れの件で約束をとりつけていた。もちろん寛人さんからは何の連絡も入っておらず、僕たちは正当な怒りに燃えるラッパーと対決できるだけの力を持った人を求めて、スタッフ控室に飛んで行った。
「あれ、どうしたんです。そんなに慌てて」
 天の救いだと思った。沼田さんがパソコンを開いて作業をしていたのだ。真鍋は沼田さんの肩に飛びかかると、「とにかく番台に来てください!」と絶叫した。彼ならこの難局もやすやすと乗り越えられるに違いない——僕たちはそう確信して、安心しきっていた。
「……は? 今、何つった?」
「ですから、僕には何も決められません。決められないんです。悪いですけど。寛人さんが戻ってくるまで待ってもらうか、明日にでも出直してきてもらえませんか?」
 一向にらちの明かない押し問答だった。沼田さんは、どれだけラッパーに問い詰められても、まるで壊れたおもちゃみたいに、決められない、決められないと繰り返すだけだった。ラッパーは「頭沸いてんじゃねえのかっ⁉」と、怒りを通り越して呆れて帰っていった。
「すごい! 沼田さんの高等戦術の勝利ですよ。決裁権のない人間のフリをして、ラッパーを見事に追い返しましたね」
 真鍋はそう興奮していたが、ラッパーとの対決はどういうわけか予想以上に負荷が大きかったようで、沼田さんは笑顔をピクピクとらせながら、「ごめんなさい、そうじゃないんです。ごめんなさい……」と、これまた壊れたおもちゃのように小さな声で繰り返していた。僕も真鍋もこの異様な事態にどう対処していいものかと戸惑い、沼田さんの姿をただ眺めていることしかできなかった。

 その翌週、仕事終わりに僕は杉乃湯を一人で訪れた。さっさと頭と体を洗い、数人いた先客の老人たちに紛れて湯に浸かる。そのとき、脱衣所の方から歩いてきたのは沼田さんだった。僕の存在には気付いていないようで、彼は無表情のまま洗い場の椅子に座り、頭を洗い始めた。ぼんやりと眺めていると、水圧の弱いシャワーでシャンプーを流し終わった沼田さんは突然、鏡に向かって笑いかけた。まるで、いつもの「笑顔」を練習するかのように——僕は見てはいけないものを見てしまったような気がして、沼田さんに気付かれないよう、死角になっている反対側の洗い場を通って脱衣所へと逃れた。
「それで僕は、ビックリするほど簡単に潰れてしまったんです」
 沼田さんの声が耳元でよみがえる。
 彼がいったいどんな理由で、どんなふうに潰れて、その結果彼の心はどんな形に変わってしまったのだろう? 有り余る能力をCSOとやらのおりのために進んで投じるという、病的なほどの献身を続ける彼の以前の姿は、一体どんなものだったんだろう?
「寛人さんのおかげで、僕はなりたい自分になれたんですから」
 そして、そんな沼田さんが、鏡の前で練習した作り物の笑顔を貼り付けてまでも、寛人さんとの関係の中で実現したかった「なりたい自分」とは、一体どんな自分だったのだろう? 寛人さんと沼田さん。一見うつくしく成立しているようで、どこかいびつさをその奥に隠し持った二人の関係に、僕はどうしようもなく興味を惹かれてしまうのだった。

「今、がわ区が熱い!」と、ウキウキした口調で僕に告げたのは真鍋だった。
「イースト東京とか言って、きよすみしらかわのカフェやくらまえの革小物屋さんをありがたがるのはもう古いよ。真のトレンドはあらかわの向こうにあるんだ。要チェックの銭湯もあるから、オウンドメディアのネタ探しにもなるはずだよ。一緒に行かない?」
 親友からそう自信満々に煽られたら、荒川を越えないわけにはいかないだろう。僕は土曜日の昼前から東西線直通のそう線に乗り込み、40分かけて西にし西さい駅へ向かった。

 その日の行程については「着いてからのお楽しみ」とのことで事前に教えてもらえていなかったが、13時に西葛西駅で真鍋と合流して、最初に連れて行かれたのは銭湯ではなく、海沿いの巨大なゴルフの打ちっぱなし場だった。
「ここ、ずっと来たかったんだよね。都内じゃ一番デカくて開放感があるし。結構インスタにあげてるやつ多いしさ。ほら、ちょっと動画撮ってよ」
 真鍋は僕にスマホを預けると、素人目にもあまり上手ではないスイングで、ゴルフボールを思いっきり右のほうに吹っ飛ばした。来月には初ラウンドを控えているらしいが、この様子ではどんなにひどいスコアを叩き出すか分からない。
「しかしどうして、急にゴルフなんか始めたの? 俺らの世代だと体育会出身の連中か、みなと区女子がやってるくらいで、ゴルフなんておじさんのスポーツかと思ってたけど」
「リバイバルってやつだよ、リバイバル。本当にいいものは結局、トレンドが一周して戻ってくるんだよ。ほら、町中華とかシティポップとかもそうじゃない? クラフトビールだって、つまりはバブルの頃に流行った地ビールの再来らしいし」
 彼は、過去に正しいとされたものには普遍的な価値があるのだと信じているのだろう。もしかするとそこには、まだ価値の定まっていないものを自分で探し出すよりも、過去に正しいと検証されたものを拾い上げてくるほうが楽だという怠惰が潜んでいるのかもしれない——僕はそんな意地悪なことを考えてしまった。
「しかし、この間の寛人さんのインタビュー、ほんとに訳分かんなかったな~。なんだよ、世界平和って。寛人さんがジョインしてから杉乃湯迷走しすぎってあちこちの銭湯関係者から言われてるっぽいけど、あのインタビューで分かった気がするよ。CSOの馬鹿な思い付きを全部真に受けて、完璧に実現しちゃう人が現れちゃったってことなんだろうな。可哀そうだけど、あれじゃ寛人さんは裸の王様だよ。杉乃湯は、あの今にも死にそうなジジババたちが静かにお湯に浸かってるチルっぽさが魅力なんだから、マルシェやDJイベントで奇をてらうんじゃなくて、昔ながらの銭湯として正々堂々と勝負すればいいのに!」
 確かに真鍋の言うとおりかもしれない。何ちゃらディレクターや何ちゃらプロデューサーに言われるがままの寛人さんと、その妥当性を一切疑わず、言われた通りに手を動かしてしまう沼田さん。この良くも悪くも嚙み合ったコンビによって、かつての杉乃湯は失われつつある。
「文子ちゃんも、いい加減ヒロちゃんにビシッと言ったほうがいいんじゃないの? クラフトビールだかなんだか知らないけど、あんなもん唐沢さんしか飲まないし、杉乃湯の歴史を汚してんじゃないの?」
「そうよ! 唐沢さんは似合わないアメカジなんか着ちゃって、若者ぶるのが好きなのかもしれないけど、みんなそうってわけじゃないのよ? どうせ老い先短いんだから、せめて私たちが生きてる間くらいは昔のままの杉乃湯でいてよぉ」
 番台で頰杖をつく文子さんに老いた常連客たちが陳情をしているのを、僕も何度か見たことがあった。文子さんはそのたびに「はいはい、もう私はこの銭湯のことは寛人に任せてるから」と、ひどくウンザリした様子で言うだけだった。
 どうも、老人たちの間でも小さな対立が起きつつあるらしい。そして、同じような対立は、僕たち若者の間でも起きつつあった。
「サウナがないからこその杉乃湯の落ち着いた雰囲気は特別だよね」
「地域に根差した老舗銭湯の良質なコミュニティは、今後も大切にしていくべきだと思う」
「うんうん、2010年代は『変わらないことが最大のリスク』だとかって変化を煽るような風潮があったけど、これからは変わらないことが価値を生む時代なんじゃないかな」
 会が立ち上がった当初は寛人さんに流される形で新しいことをやりたがっていたみんなも、それぞれが銭湯について深く考える中で「やっぱり昔ながらの銭湯の価値を大切にしよう」という声を徐々にあげるようになってきた。そして、その急先鋒は真鍋だった。
「やっぱり、銭湯は文化なんだから、若者やメディアに迎合してるようじゃダメなんだ。寛人さんには、歴史ある銭湯の四代目としての自覚をちゃんと持ってほしいもんだよね。ちなみに、これから行くらくは『きようろうじん卍』がブログで絶賛してた超クラシック派だから、きっと感動すると思うよ」
「湯狂老人卍」とは真鍋が信奉している有名銭湯ブロガーだ。無駄にちりばめられた下ネタと、ほとんど風俗レビューみたいな文体が特徴で、一部の銭湯好きからの熱狂的な人気を誇っている。顔や年齢は非公開だが、「小生」という一人称や「趣味は立ち食いそば屋とAV女優のサイン会巡り」と書くあたり、面倒な老人であることが容易に推測された。

 打ちっぱなし場から15分ほど歩くと、喜楽湯に到着した。杉乃湯と同時期に創業した老舗銭湯で、サウナのないこの銭湯の売りは、有機物が色々と溶け込んだ「黒湯」と呼ばれる天然温泉だという。
「へぇ、相当濃い黒湯だ。おお区あたりの銭湯ではこの手のお湯が多いけど、こっちでも湧くんだね。『湯狂老人卍』はやっぱり信頼できるよ。官能的にまとわりつく湯の柔らかさも素晴らしいし、地域のご老人たちが静かに修行のように湯に浸かっているところも……やっぱり、銭湯はこう、ストイックでクラシックな場じゃなくっちゃね」
 10センチ先も見えないほど真っ黒いお湯を両手ですくいながら、真鍋は感嘆の声を漏らしている。たしかに、浴場にいるのは老人ばかりだった。みな目を閉じて顔を伏せ、修行というより何かの刑罰を受けているかのようだ。そこには生気がまるで感じられなかった。
 窓のない薄暗い浴室は、清掃が行き届いていないのか床はヌルヌルしていたし、洗い場の排水口には、使い捨て歯ブラシか何かの白いビニール袋の破片がいくつも溜まっていた。よく見れば、黒湯の水面にも髪の毛やフケらしきゴミがポツポツと浮かんでいる。急に自分がとてつもなく不潔な場所にいる気がして、僕は今すぐここから立ち去りたい衝動に駆られた。ふと真鍋のほうを見ると、ついさっきまでの賞賛はどこへやら、彼自身もいかにも微妙そうな顔をしていたから、僕たちは早々に風呂から上がることにした。
 帰り際にカウンターで暇そうにしていた男性スタッフに「すみません、高円寺の杉乃湯の関係者なんですけど」と声をかけてみる。年齢は寛人さんと同じくらいだろうが、小太りの体形や開ききった毛穴、薄くなりつつある頭髪なんかのせいで、ずっと老けて見えた。
「ああ、杉乃湯さんね。なんか最近、迷子になってるらしいじゃん! 銭湯なんか、どうせ儲かんないんだからさ、みっともなくくのはやめて、うちみたいにマンションにしちゃえばいいのよ!」
 みやと名乗った喜楽湯の四代目オーナーは、楽しそうな引き笑いを交えながら、とんでもない事実をサラリと伝えてきた。
「えっ、喜楽湯さん、廃業しちゃうんですか?」
「うん。腎臓やって入院してる親父がガタガタ言ってるけど、それがくたばったら売るってことで業者と話を進めてる。だから、この銭湯は持ってあと1、2年かなぁ。そうなれば、僕は不労所得でキャバクラ通い放題ってわけよ! 羨ましいでしょ」
 宮木さんの弾んだ口調に真鍋は絶句しつつも「そんな……この銭湯は、まさしく銭湯文化遺産なのに。もったいないですよ!」とせめてもの反論を絞り出した。すると、宮木さんは突如として不機嫌な顔になった。
「文化だなんて、こっちの知ったことじゃないよ。ほら、飲食店でもさ、潰れるって分かった途端に『大好きだったのに、もったいないです!』とかって、これまで全然来てなかった客が大挙して押しかけてくるって言うでしょ? 外野はいつだって無責任だよ。こっちは生業としてやってんだから、ゴチャゴチャ口を出すもんじゃないよ!」
 宮木さんは早くも半ギレくらいの域に達していたから、僕たちは彼が沸点を突破しないうちに、そそくさと立ち去ることにした。

 時刻はまだ17時前だったし、「なんか、このままだと気持ちよく帰れないよ」と真鍋が言い出して、僕たちは喜楽湯のすぐ近くにある「はな」にハシゴすることにした。花田湯は、喜楽湯とは正反対の銭湯と言えるだろう。元アパレル系の若い三代目が継いでからというもの、クラウドファンディングで資金を集め、オシャレなカフェの設計なんかをしている若手建築家と組んで、70年の歴史のある銭湯をすっかり改装してしまったのだという。寛人さんと沼田さんが今後も杉乃湯を変え続けるとすれば、最終的には花田湯のようになるかもしれない。もちろん、「湯狂老人卍」からの花田湯の評価は最低ランクだった。
 コンクリート打ちっぱなし風のエントランスをくぐれば、番台の隣にはクラフトビールのタップがいくつも並び、その向かいには本格的な機材を備えたDJブースまであった。「週末の夜になると、ブロックパーティをやるらしい」と真鍋は興奮していたが、彼自身もブロックパーティとは何なのかよく分かっていなかった。極端に照明を落とした薄暗い浴場では、浴槽の底に設置された緑やピンクのライトがゆらゆらと揺れ、趣味の悪いクラブみたいだった。ロウリュも可能なこだわりのサウナにキンキンに冷えた水風呂、あちこちに置かれたインフィニティチェアなど、明らかに若者サウナー向けの設備が導入されているせいか、お客さんは大学生や若手社会人とおぼしき人ばかりだった。「いやー、ここで整わないやつはサウナー引退した方がいいっしょ!」とかならまだしも、「マッチングアプリの女に性病うつされてさ!」とゲラゲラ笑い合う彼らにはへきえきとさせられた。昔ながらの銭湯だと勘違いしてうっかり来てしまったのだろうか、哀れなおじいちゃん客は、彼らのほうを恨めしそうにいちべつしてからスゴスゴと立ち去ってしまった。

「なんか、何が正解なのか分かんなくなってきたな。昔はいろんな銭湯があった方がいいなとか思ってたし、銭湯が潰れても『まぁ他行けばいっか』ってなってたけど、いざ銭湯経営の内側が見えるようになると難しいね。喜楽湯みたいに昔のままのスタイルを続けてもお客さんは減る一方だし、かといって花田湯みたいに若者向けに切り替えるのは、生き残れるかもだけど銭湯文化の維持みたいな観点からすれば正しいのか分かんないし。寛人さんの迷走も、こうやって悩んだ結果だったのかなぁ」
 僕たちは花田湯でより深まったモヤモヤを持て余し、コンビニで買った缶ビールを飲みながら風呂上がりの散歩をしていた。時刻は19時過ぎで、日はほとんど暮れていた。目的もなく西へ西へと歩き、気付くと荒川をまたぐ橋を渡っていた。梅雨入り前の、まだサラリとしている風が、石鹼のにおいのする僕らの肌を撫でた。
「あれ、とよじゃない? ほら、あの光の塊。タワマンの街にも銭湯はあるのかなぁ」
 依然として沈んだ空気をまといながら先を歩く真鍋をよそに、僕は川の向こうを指さして呑気に言った。「豊洲か」と真鍋は呟くと、突然僕の方に向き直った。
「そう言えば、豊洲2号店の噂を聞いたんだ。何か知らない?」
「知らないも何も……2号店って、何の2号店?」
「そりゃ、杉乃湯に決まってんだろ。今度新しくできるファミリー向けの大型商業施設に、杉乃湯が2号店を出すって噂が銭湯ファンたちの間で出回ってるんだ」

 去年に続いて今年も空梅雨だったが、その日は珍しく朝から弱い雨が降っていた。久々に一人で過ごす週末だった。真鍋は担当クライアントのイベント立ち会いで休日出勤だったし、大学時代の友人から飲みの誘いはあったけど、たまにはのんびりするのも悪くないだろうと思ったのだ。それで家の大掃除をしたり、読書をしたりしたものの、16時にはやることがなくなって、結局僕はわざわざ傘をさして、いつものように杉乃湯にやってきてしまった。
「おっ、珍しいね。今日は真鍋くんと一緒じゃないの?」
 洗い場で声をかけてきたのは、ちょうど頭を洗い終わったらしい寛人さんだった。隣には沼田さんもいる。「今日は沼田くんと二人で出かける用事があったから、帰りにひとっ風呂浴びようって話になってさ」とのことだった。僕も急いで頭や体を洗って、二人が先に入っていたミルク風呂にお邪魔することにした。水面に浮かぶいくつもの顔を眺めてみれば、今日も杉乃湯のお客さんは、老人と若者にクッキリと二分されている。寛人さん肝いりのクラフトビールは老人常連客たちには相変わらず不評だったが、週末にわざわざしもきたざわがくげいだいがくといったオシャレな街から来る若者たちには好評のようで、それなりに売れているという話だった。
「そういえば、西葛西の喜楽湯さん、近いうちに廃業するそうですよ。マンションにするそうです」と、僕は寛人さんの顔色をうかがいながら言った。
「そうらしいね。最近は新規客の獲得に苦しんで、売り上げも落ちる一方だって、宮木さんが言ってたからなぁ。素晴らしい銭湯なんだけど」
 寛人さんは心底もったいないといった口調だった。幸いにも、まっすぐな性格の彼は僕の企みにまだ気付いていないらしい。沼田さんは例の爽やかな笑顔を浮かべたまま黙っていたから、僕はここ数日ずっと聞きたかった質問を寛人さんに浴びせることにした。
「やっぱり、杉乃湯も変わらないとダメだと思いますか? 常連さんや、考える会のメンバーたちの中でも、昔ながらの銭湯がいいって意見はあるようですけど」
 これは間違いなく、寛人さんにとっては嬉しくない話であるに違いない。でも僕には、彼が適当な言葉でかわしたりはしないだろうという確信があった。寛人さんはきっと、ここでは噓をつかない。だって今僕らがいるのは、戦争すらもなくしてしまう、とても平等、つまり大変フラットな、魔法のような場所なのだから。
「難しい質問だね」寛人さんは少し悩む素振りを見せた。僕の問いに真摯に向き合ってくれている証拠だろう。沼田さんは、相変わらずニコニコと、誰に向けるでもなく笑っていた。しばしの沈黙を破って、寛人さんが口を開く。よし、ここでようやく、これまでの寛人さんの迷走の歴史の真相が明らかになる——はずだった。
「実際のところ、どうしていいのか、まだ分からないんだ。それで、とにかく勉強会やパーティに出て、人脈を広げて、色んな人から貰ったアドバイスを、ひとつひとつ試してるって感じかな? 『あいつは迷走してる』って言われてるんだろうな~とは思ってたけど、やっぱりそうなんだねぇ。そうだ! 逆に、これから杉乃湯はどうしたらいいと思う? 参考にしたいから、ぜひ聞かせてよ!」
 体から、力がスルスルと抜けてゆく。きっとで、僕から新鮮なアドバイスを貰おうとしている寛人さんは、目をキラキラさせていた。失望を隠そうともしない僕を見かねて、それまで黙っていた沼田さんが、笑みを顔に貼り付けたまま、いつかのように寛人さんのフォローに入った。
「今のを聞いて、こう思ったんじゃないですか? この人は不真面目な人だ。何も考えていなくて、他人の意見に流されて、それで起きたことは他人のせいにして、そうやって自分の心を守ってるんじゃないかって」
 とんでもなく鋭利な言葉を突然吐き出すものだから、僕は驚いて沼田さんをじっと見てしまった。寛人さんは多少なりともショックを受けてるんじゃないかと思ったが、いつもの自然な笑顔を浮かべたままだった。沼田さんは、諭すようにゆったりと言葉を続ける。
「違うんです。この人はまっすぐに愛されて、幸いにもこれまで潰されることを免れてきた、優しい人なんです。何が正解とか、誰を優先して誰を切り捨てるとか、そういうことを決めることが、どうしてもできない人なんです。だから、彼が言うことはいつだって優しくて、でも実現したいのは困難なことばかり。それをどうにか実現させるのが僕の仕事であり、生きがいなんです。だいたい、世の中に唯一絶対の正しい答えがあることのほうが少ないですよ。正しそうに見える選択肢にも、残酷さやみっともなさが伴うものですから」
 彼の目線は、相変わらず誰にも向いていない。彼は僕にではなく他の誰かか、あるいは自分自身に向けて話しかけているようにも見えた。
 沼田さんの言葉は、よく考えれば抽象的なことばかりで、僕の疑問にまっすぐ答えたものではなかった。でもそこには不思議な説得力があり、僕はそれ以上の質問を投げかけることを諦めてしまった。僕らはそのまま、三人仲良く並んで黙ってお湯に浸かることを選んだ。
 沼田さんは、寛人さんの場当たり的な性格をよく理解したうえで、彼に寄り添っている。むしろそんな寛人さんだからこそ、彼は「潰れてしまった」あとに残った人生を捧げる相手として狙い定めたのかもしれない。沼田さんの過去にその原因が潜んでいるのかどうかは、僕は最後まで聞き出すことができなかった。

《入口でうら若き乙女たちが集まってキャッキャと野菜を売っている。マルシェと言うらしい。ここは神聖なる銭湯ぞ? 女子供が和やかに野菜を売るような生半可な場所ではあるまい。小生の股ぐらには、既に立派なナスがぶら下がってるというのに……》
《風呂上がりは冷たいものが飲みたくなる。露にまみれ、ぬらぬらと光る缶をズズゥ! と吸い込んで、小生は激ムセ。な、なんだこりゃ~! クラフトビールと言うらしい。苦いだけで飲めたもんじゃない。男は黙ってサッポロビール!》
 7月に入ったばかりの頃、「湯狂老人卍」のブログがかつてないほどバズった。標的とされていたのは、他ならぬ杉乃湯だ。「湯狂老人卍」は、普段は江戸川区やすみ区を中心に活動しているのだが、寛人さんの改革路線の噂を聞きつけてか、はるばる高円寺まで遠征に来たらしい。昔ながらの銭湯を愛する彼は、杉乃湯がこんな洒落しやらくさい銭湯に生まれ変わろうとしていることが許せなかったに違いない。記事はいつものように、《ぜひ杉乃湯の皆さんと銭湯の未来について話し合う機会を持たせていただきたい》と公開討論の打診で締めくくられていた。腹立たしい銭湯を徹底的に打ちのめすための、彼の常套手段らしい。
《同感。最近はあんまり銭湯行ってないけど、やっぱり昔のままがいいよね》
《昨今の社会情勢とも通ずるところがあるのではないでしょうか? DXだとか何とか言って、老人を平気で置き去りにする風潮には、もうウンザリです。これからは脱成長の時代であって、皆で等しく貧しくなるべき》
 最初は独特の文体を面白がっている人が多いのかと思っていたが、コメントを見る限りだとそれだけでもないらしい。それなりに多くの人が銭湯に変化を望んでいないのだという事実を、「湯狂老人卍」のブログは炙り出していたのだった。

 一方で寛人さんはと言えば、そんな世間の声にまだ無頓着でいるようだった。
「クラフトビール風呂ってどうかな? この間、いつもお世話になってる例の青梅のブルワリーやってる八代目と朝まで飲んで語らった結果、廃棄予定の試作用ビールと、製造過程で出る大麦やホップの搾りかすを提供してくれることになってさ。これを機にクラフトビールを身近に感じてもらって、風呂上がりの定番飲料として定着させられないかなと思って」
 定例ミーティングで、寛人さんが意気揚々と語った案は、いつだったか唐沢さんが口にした思い付きそのままだった。他人の思い付きをそのまま突き進むのも、ここまで来ると痛快ですらある。会員たちの多くは内心「またか」とぎこちなく笑っていて、中には露骨に首を傾げている人もいた。クラフトビール風呂なる奇策のお知らせを目にした常連客たちの反応も、きっとこれと似たようなものだろう。
 そんな様子の寛人さんだったが、あのブログにまつわる騒動のことは認識しているらしい。
「あのブログ、僕も読んだよ。もちろん腹は立ったけど、彼の考えには、みんなもそれなりに共感するところがあったんじゃないかな? 僕は彼のおかげで目が覚めたような思いがしたんだ。どうだろう、湯狂老人卍さんを呼んで、常連さんやみんなと一緒に話し合わない? その様子を記事にして、銭湯のミライがどうあるべきなのか、世に問おうよ」
 寛人さんがどういうつもりでそんなリスクにまみれた提案をしてきたのか、僕はまったく真意が読めなかった。温和な性格の彼のことだから、みんなの目の前で腹立たしい匿名銭湯ブロガーをボコボコにしてやりたいということでもないだろう。むしろ、あの品性を欠くブロガーから本気でアドバイスを貰いたいと素直に思っているんじゃないだろうか?

「文子さんは、豊洲2号店を任せるためのトレーニングだと割り切って、寛人さんの奇行を放置してるのかもね。ほら、文子さんが1号店で赤字を垂れ流しながら昔ながらの銭湯を守って、寛人さんが2号店で若者から金を巻き上げるんだったら、そのお金で1号店と銭湯文化を守れるわけじゃん。さすがの老練だよ! 寛人さんの厄介払いにもなるし」
 テーブルの向かいに座る真鍋が、いやに太いうどんをクチャクチャ嚙みながら話しかけてくる。僕たちは夕方からの定例ミーティングの前の腹ごしらえに、真鍋が行きつけだという高円寺駅南口の武蔵むさしうどん屋さんを訪れていた。愛知生まれの僕は初めて食べたのだが、武蔵野うどんは東京西部の名物で、ムチムチした食感とコシが特徴なのだそうだ。
「でも、二店舗も並行で銭湯を経営する余力が、今の乃木家にあるのかなぁ? ほら、銭湯の初期投資は相当な額になるって、以前にブログで読んだじゃん」
 僕の指摘に、真鍋は「うーん」と唸りながら考え込んでしまった。いつだったか「杉乃湯での経験を活かして、将来俺たち二人で銭湯やろうよ!」と酔ったテンションで話し合ったことがある。手始めにスマホで検索をしたところ、二人とも同じネット記事に辿り着いた。「猿でも分かる銭湯の始め方」と題されたその記事には、必要な手続きや費用のことが詳細に書かれていた。サウナや水風呂のチラーなど、設備にこだわり始めると費用は青天井のようで、ブログの末尾は「このご時世に、こんな儲からないビジネスを始めようとするのは馬鹿です。でも、そんな愛すべき馬鹿たちがいたからこそ、この国の銭湯文化は維持されてきたのです。花田湯や杉乃湯など、意識高い系銭湯とか言ってイキってる若手銭湯経営者は、よく感謝し反省するように(※ 杉乃湯の近況についてはコチラの記事をご参照ください)」と結ばれていた。しっかりと杉乃湯ディス記事のリンクまで貼っているその記事を書いた主は、他ならぬ「湯狂老人卍」だった。彼はどうやら銭湯ファンという域を超えて、プロ並みの知識を持っているらしい。事実、彼は「湯狂老人卍の銭湯哲学堂」なるオンラインサロンを数年前から運営していて、銭湯経営者や銭湯ライターなど、本職の人たちを集めているそうだ。
「まぁ、銀行から借り入れるとか、やり方は色々あるんじゃない? 最近も、どっかの信用組合が老舗銭湯のリノベーションのために無金利でお金を貸し付けたってニュースがあったし」
 真鍋はそう言うと、つけ汁に浸したうどんをワシワシと飲み込み続けた。彼は相変わらず、豊洲2号店の情報を熱心に収集していた。真鍋の懐古主義は結局「流行りを追うよりセンス良さげだから」という理由で導入されているようだから、もし豊洲2号店が世間で話題になって、そこで働いていることが自慢になると判断したら、きっとすぐに態度を翻すだろう。でも、それは僕だって同じだ。寛人さんや沼田さんとは違って、僕たちはどこまでいってもよそ者だ。本業のPR会社でクリエイティブ部署への異動を有利にするとか、転職のネタにするとか、相変わらずそんな下心で「考える会」の活動に従事しているに過ぎなかった。
「ええっ、こんなに太いの? なんかもっとこう、冷や麦みたいに細くて食べやすいやつはないの? あんなの食えないよ」
 僕たちが食べている太くてゴワゴワしたうどんの山を覗き込んで、ちょうど今入店してきた高齢の夫婦が素っ頓狂な声を上げた。武蔵野うどんの専門店なんていう店の店主が、偏屈な人間でないはずがない。30代半ば、おそらく寛人さんと同い年くらいの男性店主は、頭に巻いたタオルをギュッと締め直して、声の先をギロリとめつけた。
「お客さん、出てってください。武蔵野うどんってのはね、ハードじゃなきゃいけないし、ハードであるほどいいんだ。悪いけど、ここはあんたらみたいな老人のための店じゃない。むしろ俺は老人が一口食ったら喉詰まらせて死ぬくらいのうどんを目指してんだよ!」
 店主のハードな退場宣告に、キッチンで様子をうかがっていたバイトや、こんな光景に慣れっこの様子の常連客たちは、馬鹿にしたような乾いた笑い声をそれぞれ小さく発した。哀れにもこの店のほぼ全ての人たちの嘲笑の対象にされてしまった老夫婦は、何も言わずに背中を丸めてスゴスゴと退店していった。
「嫌なもん見たなぁ。歳を取るってのは嫌なことばっかりなのかもしれないなぁ。食べられるものも減ってゆくし、友達も貯金も、できることも行けるとこも減ってゆく。長生きすればするほど、そんな苦しみが増えてくのなら、むしろさっさと死にたいくらいかも」
 先に会計を済ませて外で待っていた真鍋は、僕がガラガラと閉じた引き戸の向こうを眺めながらいかにも感慨深げにそう語るのだった。

 その後、予定通り杉乃湯に行ってみると、番台が重苦しい空気に包まれていた。番台の中で頰杖をついている文子さんを、唐沢さんと寛人さんが囲んで、何やら小声で話していた。
「ああ、あんたら。ヨシミさんってひと知らない? 70歳くらいのおばあちゃん。商店街で見かけたとかでも、何でも良いんだけどさ」
 唐沢さんが、すがるように僕たちに尋ねてきた。
「ヨシミさんって、誰ですか? そもそもヨシミって苗字? 名前?」
「いや、それも分からん。常連のおばあちゃんなんだよ。常連といっても、せいぜい半年くらい前に初めて来たくらいだけど。とにかく、バイトの女の子が前に名前を聞いたら『ヨシミ』って言われたらしくて。そのヨシミさんが、ここ1ヶ月ほど、パタリと姿を見せなくなったんだよ」
 寛人さんによると、ヨシミさんは「かかってるお医者さんに、銭湯に行くと良いからと言われて」杉乃湯に通い始めたそうだ。それ以外のことは、彼女について誰も何も知らなかった。本名も、どこに誰と住んでいるかも、「銭湯に行くと良い」と助言したお医者さんが何科の先生なのかも、何もかも。
「元から知り合いじゃない限り、ほとんどのお客さんは番台とは話しても、他のお客さんとは話さないからねぇ。下町情緒だとか言うけど、実態はそんなもんだよ。ヨシミさん、1ヶ月前に、私から10枚綴りの回数券を3セット買って帰ったんだ。ゆうちょの封筒から、折り目だらけの千円札を何枚も出してね。せめて、急に施設に入ったとかだといいんだけど」
 いつも明るい文子さんは珍しく沈んでいるようだった。そんな空気を変えようとしてか、唐沢さんがポツリとつぶやいた「家で黒湯みたいにドロドロになってないといいけど……」というブラックジョークは結果として空気をより重く、澱んだものにしてしまった。僕は喜楽湯のドロドロの黒い液体を思い出していた。

「すみません、営業前のお忙しいときにお時間を頂戴してしまいまして」
 約束の時間の5分前に現れた男の姿に、玄関先で待ち受けていた杉乃湯関係者たちは皆驚きを隠し切れない様子だった。「湯狂老人卍」は予想通り60歳前後ではあったが、こぎれいで清潔感に満ちていた。厚手でオーバーサイズの黒Tシャツに濃いグレーのハーフパンツ、足元は黒のゴツいダッドスニーカーと、いわゆるイケオジといった風情だった。ツーブロックに刈り上げた黒々した頭髪に、潤いに満ちた肌からは「現役感」が漂っている。
「ねぇ、なんか唐沢さんの上位互換って感じじゃない? あんなブログだから、長袖ポロシャツにハンチング帽の、今にも死にそうなおじいちゃんが来ると思ってたのに」
 興奮気味に耳打ちしてくる真鍋と同じ感想を、きっとみんなも抱いていたことだろう。無表情を装っていたが、ギュッと腕を組んで、男のことをキッと睨みつけている唐沢さんこそが、きっと一番衝撃を受けているに違いない。日々この杉乃湯で生まれる新しい変化を否定する「老害」が、実は自分よりも若々しい男だったのだから。それがナウい若者の格好であると信じて今日もアメカジを着て、頑張って若作りする唐沢さん。僕はそのとき、武蔵野うどん屋さんでアタフタとみっともなく戸惑う老人のことを思い出していた。

 

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