作品
児玉隆也、立花隆はなぜ首相の人脈と金脈を書いたのか。権力からの圧力はなかったのか。三十年を経てすべての真相が明らかになる
軟弱外交と非難されながら善隣友好主義を貫いた外交官が戦後二人目の総理に……それは新憲法制定の重荷を背負うことでもあった
明治生まれによって昭和は作られた。三木武吉、宮島清次郎、小泉信三、大原總一郎、石坂泰三、前川春雄、本田宗一郎等16名の列伝
(上を参照)
宰相吉田茂が師と仰ぎ、歴代総理が教えを乞うた陽明学者。終戦の詔勅に朱を入れ、平成改元にかかわり、リーダーの出処進退の心得を語った“天下の指南番”の真の姿。(岩見隆夫)
浅沼稲次郎刺殺のあとを継ぎ、委員長代行となり、社会党のホープといわれた江田三郎はなぜ離党して行かなければならなかったか
「非常な難局にあるが、内閣を引き受けてもらいたい」と大命降下。国際協調主義、善隣友好に信念を貫く、日本国憲法をつくった男
宰相吉田茂が師と仰ぎ、歴代総理が教えを乞うた陽明学者。終戦の詔勅に朱を入れ、平成改元にかかわった“天下の指南番”の真の姿
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