2014.07.28 文春写真館

三池旋風を巻き起こした原貢はスクイズがきらいだった

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

三池旋風を巻き起こした原貢はスクイズがきらいだった

 数多くの野球選手、指導者を育てた原貢は、昭和十年(一九三五年)、佐賀県鳥栖市生まれ。鳥栖工業から立命館大学に入学するが中退、社会人野球の東洋高圧大牟田でプレーしたのち、福岡県立三池工業野球部監督になる。昭和四十年夏、三池工業を率いて甲子園初出場で高校野球選手権優勝を飾り、三池旋風を巻き起こした。

 長時間の練習を戒め、練習中の水分補給を認めるなど、当時としては画期的な指導スタイルで合理的精神をもった指導者だった。長打力を重視し、バントや盗塁など機動力を用いて得点する、いわゆる甲子園戦法を根底から覆した。足だけに頼らず、走攻守三拍子そろった選手を育てるのが理想だった。とりわけ、スクイズ嫌いで有名だった。

〈スクイズは昔からきらいなんだ。大事な試合になるほど、はずされて失敗する危険が多い。それより外野フライを打てる選手を育てるほうがいい。もし、私がスクイズのサインを出したら、それだけでレギュラーをはずされる赤信号だと思えと選手にも言ってきた〉(「Sports Graphic Number153号」)  

 指導力を高く評価した松前重義東海大学総長の招きで、東海大相模高校野球部監督に就任。昭和四十五年夏の甲子園で、長男辰徳氏(現巨人監督)が主力打者として活躍、準優勝となる。親子鷹と評判になったが、現実には辰徳氏とは親子の縁を切って厳しく指導した。辰徳氏が東海大学に進学すると同時に東海大学野球部監督に就任、首都大学野球七連覇を達成。一度監督を退くが、再び就任。晩年は東海大学はじめ系列校の野球部指導にあたっていた。巨人の菅野智之投手は孫に当たる。

 平成二十六年(二〇一四年)五月没。写真は、昭和六十一年撮影。

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