――今回の作品をお書きになってどうでしたか?
桐生 同性愛、美少年などについては何度も書いていますが、一冊全てボーイズラブという作品は初めてです。大好きなテーマなので、楽しく書けました。つい、一つ一つのエピソードが長くなってしまって、削るのが大変だったくらい。今回の原稿の三倍くらいは書けるかもしれませんね(笑)。
高校生の頃から、こういう世界に興味がありました。今は、“ボーイズラブ”という言葉は、中学生でも知っていますが、当時はそうではありませんでした。タブーでマイナーな世界だから、惹かれていた部分があります。
当時は、ジャン・ジュネの『泥棒日記』や、森鴎外の娘の森茉莉の『恋人たちの森』『枯葉の寝床』などを読んで、その世界観を感じていました。
男性と一緒に歩くことすら許されない、校則の厳しいカトリック系の女子校に通っていた頃に、少年同士の純粋な愛に憧れを持っていたのかもしれません。
――美少年のどこに魅力を感じていますか?
桐生 少年の美は、「刹那の美」と言えるのではないでしょうか。
古代ギリシャの『ギリシア詞華集』には、「12歳の花の盛りの少年は甘美だが、それとて13の少年ほどには欲情をそそらない。17の少年となると、私の相手というより、ゼウス神の相手こそがお似合いだ」というものがあります。日本にも江戸時代に「お小姓の命は長うて3年」という隻句がある。あっという間に美少年の時代は過ぎていってしまう。その“つかの間の美”に、人は惹かれるのではないでしょうか。
しかも男になりきれてない、女でもない、不思議な存在。こんな「魅力的」かつ「官能的」な存在は他にないのではないか? というのが私の持論です。
――今回の作品は、古代から現代、ヨーロッパから日本までと題材が多岐に渡っています。
桐生 たくさんの人物を取り上げてます。シェイクスピア、ルイ13世、アンドレ・ジッド、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、トーマス・マン、プルースト、ジャン・ジュネ、ランボー……。
一部の人しか知らなかった、彼らの同性愛にまつわるエピソードを書くのは楽しかったですね。
同性愛といっても、国や時代によって、“好み”や“世界観”が変化しているんです。
古代ギリシャでは同性愛は特殊なものではなく、日常生活の一部でした。女色と男色が共存していた。そして、鍛えた体が一番美しいという価値観。今で言えば体育会系ですね。
古代ローマになると、それが病的に退廃的になっていく。奴隷市場で美少年が売り買いされたり、貴族の玩具となったり。
本書でも触れましたが、家の贅沢品として「快楽の子」と呼ばれる、愛らしい少年奴隷もいました。裕福な貴族に買われ、性的快楽の道具であると同時に、饗宴の席では主人の客たちも楽しませた。淫靡で、いわば残酷な世界ですね。
そしてキリスト教が広まるにつれ、「子孫を残さない性」として同性愛は迫害され、隠蔽されるようになっていった。同性愛「不寛容」の時代です。
日本でも、稚児信仰、小姓、陰間と、時代を越えて美少年愛が存在しています。『古事記』にもボーイズラブと思われるエピソードがあります。
――なぜ、ボーイズラブはここまで市民権を得たのでしょう?
桐生 女性が好きなボーイズラブは、理想化されたファンタジーの世界なのではないでしょうか? 自分の恋愛や生活、時には育児など現実の世界と離れて、禁断にはまること、耽美にひたることが好きなのでは。『実際の少年を追いかけようとは思わない。遠くで見ているのがいい』なんて意見も聞いたことがあります。
竹宮惠子さんの『風と木の詩』を読んで、『漫画でこういう題材がありえるのか』と驚いたことがありましたが、ここまでジャンルとして成立する時代が来るとは思わなかったですね。
人間は誰でも、“禁じられた性”に惹かれる部分があります。禁止されていても蔑視はしてない。ボーイズラブも、“禁じられてる愛”だからこそ、妖しく美しいと、人は感じるのではないでしょうか。