2016.08.01 文春写真館

若き石原裕次郎は芸能界に「長い間いたいとは思わない」と考えていた

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

若き石原裕次郎は芸能界に「長い間いたいとは思わない」と考えていた

「誰それは、何を演じ何に扮しても誰それだという評言がある、褒貶相半ばするいいかただと思うが、裕次郎の場合、褒めるにもけなすにも、常に裕次郎だから価値があり、しかし、裕次郎を演じるという退廃には落ち入らなかった、終始、素直であったと思う」(野坂昭如「終りの始まり」文藝春秋緊急増刊「さよなら石原裕次郎」より)

 戦後を代表するスター、石原裕次郎は昭和九年(一九三四年)生まれ。父親が山下汽船に勤務していた関係で転勤が多く、神戸市(兵庫県)、小樽市(北海道)、逗子市(神奈川県)で育つ。慶應義塾大学に進学するが、勉強嫌いで通っていた。

 兄慎太郎の芥川賞受賞作「太陽の季節」の出版記念会で、プロデューサーの水ノ江滝子に映画出演を熱心にすすめられ、同作品が映画化されるにあたって、銀幕デビューを果たす。次作「狂った果実」で、後に妻となる北原三枝を相手に主演し、大ヒットする。以後、「幕末太陽伝」「嵐を呼ぶ男」(昭和三十二年)、「陽のあたる坂道」(昭和三十三年)など次々とヒット作に主演し、国民的人気を得た。

 しかし、本人は「この世界に長い間いたいとは思わない。だいいち映画俳優なんて、あまり名誉な商売じゃないものな」(「文藝春秋」昭和三十三年三月号「明日は明日の風が吹く」より)という心境だった。写真はこの時撮影。

 スクリーンで活躍したばかりではなく、「嵐を呼ぶ男」「錆びたナイフ」「夜霧よ今夜も有難う」など、映画の主題歌もヒットし、歌手としても大成功を収めた。

 昭和三十八年、石原プロモーションを設立。以後、活躍の舞台を映画からテレビに移した。「太陽にほえろ!」「大都会」「西部警察」など刑事もので、派手なアクションを演じる若手俳優を率いるボス役として、数多くのファンから親しまれた。

「タフガイ」と呼ばれ、屈強そうに見えながら、実際は数多くのケガや病気に悩まされてきた。昭和五十六年、解離性大動脈瘤の除去手術を受け、奇跡の生還と言われた。昭和六十二年、旅先のハワイから帰国後、入院する。報道が過熱し、多くの国民が容態を気遣うなか、一度退院するが、再入院し、七月十七日、肝細胞ガンのため亡くなる。五十二歳という若さだった。

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