いっとき、ゴシッパーと呼ばれていた。
酒席などで、藝人たちの虚実とり混ぜたゴシップを、あたり構わずしゃべり散らし、ときには喝采浴びて得意になっていたのだから、なんとも嫌味な若者だった。
私も同人に加わっていて、もう四十年もつづいている東京やなぎ句会というのがあり、いまや句友全員老残の身をさらしているのだが、以前は時どき地方都市からお座敷がかかって、トークショーなどやっていた。そんなとき、私の担当するのがゴシップ・リクエスト。司会の永六輔が客席から、誰でもいいからと好きな藝人を指名させると、即席でその藝人のゴシップを披露するのだ。そのあとで、ちゃんとした落語を一席演ずる柳家小三治が、言ってくれたものだ。
「私ははなし家。先刻出たのは、うわさばなし家」
なるほど「国語辞典」の類いでゴシップを引くと、「うわさ話」とそっ気なく記されている。
わが師戸板康二は、私のこんな性癖を、「私と同じように、挿話好きである」としたうえで、『句会で会った人』(富士見書房)にこう書いてくださった。
仕入れた話に多少の潤色を加え、自宅でリハーサルもしないだろうが、何となくひとつまとまると、句会や酒場や劇場の廊下で友達をつかまえ、「聞いた?」とまず尋ねてから、うれしそうに話す。この話し方の導入部は、偶然だが久保田万太郎先生と似ている。もっとも先生のは、さきに、滑稽な失敗をした人の話をしたあと、「誰だと思います?」といい、最後にその人の名を告げるのであった。
親しく謦咳(けいがい)に接したことのない久保田万太郎と較べられたのは光栄のいたりだが、指摘されたとおりリハーサルなどしたことはない。だが、「仕入れた話に多少の潤色を加え」というのは、まったくその通りである。ほんとのはなしはゴシップにならないが、ほんとらしいはなしは、立派なゴシップになる。