- 2012.07.26
- 書評
サッカーとともに辿る同時代
文:戸塚 啓 (スポーツライター)
『ワールドカップ戦記 波濤編 2002-2010』
(スポーツ・グラフィック ナンバー 編)
ジャンル :
#ノンフィクション
誰でもひとつぐらいは、記憶を呼び覚ますスイッチを持っていると思う。
たとえば、その時々のヒットソングだろうか。同世代なら男女を問わずに、かなりの確率で共感し合える。好きだったアーティストをきっかけに、付き合っていた相手とか良く通っていた場所などが、鮮やかに甦ってくる。
スポーツもスイッチになる。なるのだが、会話をスムーズにするのはプロ野球か高校野球、それに五輪くらいだった気がする。
ロス五輪が開催された1984年の僕は中学2年で、小泉今日子のファンだった。サッカー部の練習試合で骨折をして、文化祭の直前に同級生に初めて告白というものをした――物忘れに悩まされる中年になっても、これぐらいならすぐに思い出せる。
サッカーとともに人々が過去を辿るようになったのは、1998年のフランスワールドカップがきっかけだろう。'93年のJリーグ開幕に次ぐブームが、圧倒的な熱量で巻き起こった。4年に一度やってくる世界最大級のスポーツイベントは、ここから一般の人々の生活にも浸透していった。
文春文庫『ワールドカップ戦記』の第二弾となる「波濤編」は、2006年のドイツ大会と'10年の南アフリカ大会に関するレポートを収録したものだ。取材現場で顔見知りのライター諸氏が、日本代表の戦いぶりを様々な角度から論じている。ここでは「自著を語る」ことになっているが、僕はそのうちのひとりに過ぎない。
結果の受け止め方は書き手によってそれぞれだが、根本的な部分では誰もが日本のサッカーに危機感を抱いている。ジーコが率いたドイツ大会のチームにも、岡田監督が指揮した南アフリカ大会のチームにも、「もっとできるはずだ」という思いがぶつけられている。
'02年の日韓大会から南アフリカ大会までの8年間を振り返ると、個人的にはとても複雑な気持ちになる。試合後に原稿を書いているときも、「ナンバー」に掲載された原稿を読み返すときも、いくつもの感情がせめぎ合っていた。心の揺れを隠し通せていない。
なにしろ前例のない時代だった。ドイツ大会以前のアジア予選は、一定期間に集中的に開催されていた。それが、2年以上に及ぶホーム&アウェイ方式に変更された。数カ月も試合間隔が空くこともある。どうしたら結果を残せるのか。サッカー協会も、メディアも、サポーターも、明確な答えを持てていなかった。
海外のクラブに所属する選手も、加速度的に増えている。彼らの実力に疑いの余地はないが、直前にならないとチームに合流できないという問題がある。一方で、国内でプレーする選手は、準備万端だ。優先すべきは潜在能力か、コンディションか。代表監督は難しい決断を迫られ、我々もまた迷宮をさまよった。
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