まさか『推定無罪』の続篇が書かれるとは思わなかった。リーガル・サスペンスの横綱格として君臨するスコット・トゥローのデビュー作にして代表作であり、ハリソン・フォード主演で映画化もされた傑作に、物語的にも続篇はないだろうと思っていたからだ。しかし23年(邦訳では24年)ぶりの続篇『無罪 INNOCENT』を読んで驚いた。充分に単独で読める作品でありながら、『推定無罪』の紛れもない続篇をなしているからだ。
女性検事補の殺人事件で逮捕され、無罪をかちとったラスティ・サビッチ首席検事補も60歳を数え、上訴裁判所首席判事をつとめ、いまや州最高裁判所判事候補でもあった。
そんなサビッチの妻バーバラが突然亡くなる。息子ナットは母親の死を教えられ自宅を訪れるとすでに23時間たっていた。父親は救急車をよばずに母の周辺を綺麗にしていた。何故? 警察に通報すると検死官たちがくる。母は躁鬱病で薬の飲み過ぎで亡くなったと思われたが、地方検事代行のトミー・モルトはサビッチが殺したのではないかと考える。トミーは23年前のサビッチ事件で敗れていた。
検察側はひとつずつ証拠を集めて、やがてサビッチを逮捕する。サビッチは23年前と同じく弁護士サンディ・スターンに弁護を依頼し、ふたたび白熱の裁判が開始される。
『推定無罪』を読んだ者は、サビッチとバーバラが別れず、36年間連れ添ったことに驚きを覚えるだろう。衝撃的な事件を経験したにもかかわらず、夫婦生活を続けられることに驚いてしまうが、事件の後遺症は思いのほか深かった。そんな夫婦のありようが、サビッチの一人称視点で振り返られ、同時にトミーの視点から事件の追求過程が丹念に追われていく。
リーガル・サスペンスといっても、実際は法曹関係者を主人公にしたサスペンスで、『法律事務所』でお馴染みのジョン・グリシャムの作品がいい例だが、舞台を法廷外においてアクションとサスペンスを強く打ち出す作品が多い。だが、トゥローは『推定無罪』『立証責任』がそうであるように、迫真的な法廷場面を中心にすえている。しかもエンターテインメント志向のグリシャムとは違い、トゥローは濃密な人物描写と堅牢なプロットで読ませる文学派で、謎を解きつつ事件に関わる者たちの人生を重厚に描く趣向だ。
今回の『無罪』もそう。家族愛、不倫、友情、罪、正義といった主題が正面から真摯に、ときに皮肉まじりの筆致で捉えられているけれど、驚くのは『推定無罪』の事件の真相にふれずに、様々な問題を掘りさげて普遍性を獲得していることだ。前作を知らなくても深く感得できる内容なのである。
もちろん『推定無罪』を読んだ者は人物たちの動機の語らざる部分を知っているから強い感銘をうける。たとえば「人間って自分でもよくわからないことをときにするのよ。やむにやまれずするの。それがまともかまともでないかは――大した問題じゃないのよ」という愚行をめぐる考察が出てくるけれど、前作を読んだ者はそれがある種の告白であることに気付く。つまり、いくらでも深読みができて物語の興趣が高まる書き方をしているのだ(何と奥床しく巧みな筆致だろう)。
それにしても人物たちの何と人間臭いことか。懲りたはずなのにまた若い女性を愛してしまうサビッチ、息子だけを頼りにして濃い闇の中を生きているようなバーバラ、両親の冷たい葛藤に萎縮して育ったナットなど各自の懊悩(おうのう)が陰影深く描かれているし、『推定無罪』に出てきて、第2作『立証責任』では主人公もつとめた弁護士スターンは癌に冒された病身をさらけだして痛々しく(でも検察側を追い込む技は鋭く鮮やかだ)、敗訴の経験をバネにして老練になりつつあるトミーは遅ればせながらの結婚で新たな未来をみすえ、詳しくは語れないが、物語の核を成すサビッチの助手のアンナは2人の男性を愛してしまい疚(やまし)さにかられながらも自らの幸福を掴もうとする。
このように人物たちがみな生き生きとしているのだが、それはトゥローの語りにもいえる。相変わらず語りの巧さは見事で、隠された秘密をもつ人物たちのドラマと予測不可能の展開が実に読ませる。ひねりとどんでん返しのあるミステリとしての面白さもさることながら、生きることの苦しみと悲しみと喜びがまるごと書かれていて、読者は驚き、昂奮し、物語の節々で共感し、自らの人生を思いやりながら、ゆったりと頁を繰ることになるのだ。ミステリに身をまかす楽しさと、小説という豊かな人生の物語を読む喜びがある。ミステリファンも純文学ファンも必ずや満足するだろう、堂々たる傑作。人生の転機にたつ者に多くの示唆を与える深く厚みのある小説だ。必読!
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