2012.01.13 書評

ものぐさ次郎 酔狂面談

文: 祐光 正 (作家)

『灘酒はひとのためならず ものぐさ次郎酔狂日記』 (祐光正 著)

 神田の古書店で、江戸末期の町方与力の家で記された「三枝家文書」を発見した。借金をしてまで購入し、寝食を忘れて読みふけるうち、その一部に三枝恭次郎(さえぐさきょうじろう)の酔狂な日記を見つけ、

「へえ、これだけ剣一途のきまじめな青年が、遠山金四郎に遊び人として市井にもぐれと命じられたのか――」

 と、興味を持ったのが3年前。

 このたび、日記を作品化するに当たり、ぜひ本人に会ってみたいとおもったわたしは、小田急線から山手線に乗り換えて、“嘉永年間の”上野池之端にある袋もの屋〔越山〕まで出向いた。

 そこは恭次郎の居候先であった。

「三枝さん。押しかけてすまないが、ひとつ、お話を聞かせてくださいな」

 わたしのぶしつけな振る舞いにも、恭次郎は折り目正しく挨拶を返した。

「よろしくお願いいたします」

 瞳は澄んで明るい。まっすぐな目をしているが、彫り深い顔はさわやかな中にも憂いを含んで、さながらバブル前の新宿や渋谷・六本木あたりで遊ぶ青年のようだった。とはいえ、恭次郎は江戸末期に生きた剣客である。背筋が伸び、所作に無駄はなかった。

「三枝さん。わたしは祐光(すけみつ)という三文文士です。何の縁か、百年以上も前に生きたあなたを、拙いながら描かせていただくことになりました。どうか、なじみとなっていただきたい」

 面と向かったわたしが頭を下げると、恭次郎は優しげに笑った。

「すけみつ? それがしの愛刀を作った刀工の名と同じですね」

 奇妙な偶然である。

「名工と同じとは恐れ多いが、わたしの目指すところも要はそれです。腕ひとつで読者(ひと)を喜ばせたい。その一心なのです。ひとを喜ばせるってのは、たとえばウナギ職人の焼きひとつとっても大変なもので――」

「ははっ、さながら半助さんのごとき物言いですね。むろん、これといってなじみとなるのに不満はないが――」

 睡蓮の半助は遊び人で、恭次郎の道楽修行の師匠であった。

「その半助さんを、あなたはどうおもっているんです」

「どうかと問われれば、敬愛というほかにありません。遊び人は世間から見れば、ほめられた生き方ではないが、半助さんには筋が一本通っている」

【次ページ】遠山金四郎とテレビの金さん

灘酒はひとのためならず ものぐさ次郎酔狂日記
祐光 正・著

定価:620円(税込) 発売日:2012年01月04日

詳しい内容はこちら