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〈執念〉の言葉がついて回った坂田栄男

〈執念〉の言葉がついて回った坂田栄男

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 「カミソリ坂田」あるいは「しのぎの坂田」の異名をとる坂田栄男。大正九年(一九二〇年)生まれ。日本棋院理事長をつとめる。獲得したタイトル数は六十四と空前絶後の記録を誇る。

〈野球でも強いチームは、粘って最後にひっくり返すでしょう。あれと同じですね。粘ることを覚えて勝ちまくった頃は、新聞の見出しが「執念の勝利」とか「執念の坂田」とか、頭に必ず「執念」という言葉が毎回入るぐらい粘ってましたからね〉(「文藝春秋」昭和五十八年=一九八三年十月号対談「碁盤の上の強気と弱気」より)

 前回登場の藤沢秀行とは、ライバルとして激しい戦いをくりかえしてきた。普段仲が悪いといわれた両者。

〈犬猿の仲といわれていたわけなの。顔が合うと目はそらすし、口もきかないというぐらいね〉(同)

 なかでも昭和三十八年、当時名人だった藤沢と本因坊だった坂田の名人戦は、歴史に残る戦いだった。坂田が二連勝のあと三連敗とカド番に追い詰められるが、ここから坂田が連勝して、四勝三敗で藤沢をくだす。タイトル戦史上、初の本因坊・名人となった。

 平成二十二年(二〇一〇年)没。

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