村上春樹の『意味がなければスイングはない』は、十章構成で十一人の音楽家(演奏家・作曲家と楽曲)について、レコードやライヴなどでの極私的体感をもとに綴っている。それはクラシックからジャズ(かつてジャズの店をやっていたのだから当然か)、ロック&ポップス、フォーク、Jポップと多岐にわたっている。彼は美味しいところのつまみ食い的な聴き方といった感じの言い訳をしているが、その実、かなりのマニアック指向と思わせる聴き方をしているようである。そこからは、村上春樹の音楽的興味の彼方にいかにも「作家だな」と思わせる音楽への惹かれ方と物語(ミュージシャンの人生)への関心とがみえてくる。
音楽評論に関わる者にとって、これだけ突っ込んだ原稿を「書く場」を確保できたことに羨ましさを感じつつ、彼の音楽体験の発露に、多くの点で「そうなんだよな」と共感し、うなずいてしまう。かつて低血圧の文体といった印象があった彼の文章が、妙に血圧の高い文体で音楽を語っているだけに、「その気になって」音楽と向かい合ってきたのだなと納得。
ここでは、『意味がなければスイングはない』で村上春樹がマイ・フェイバリット・アルバムとして挙げている村上流決定盤を「読み、聴く」うえでの蛇足的なガイドをしてみよう。
まず、ジャズ・シーンでほとんど注目を浴びることのない「存在感の薄いピアニスト」、シダー・ウォルトンへのこだわりを語ることから本書は始まる。七四年十二月に新宿・伊勢丹の駐車場ビルのそばにあった〈ピットイン〉で、二十五歳の村上はシダー・ウォルトンとベースのサム・ジョーンズ、ドラムスのビリー・ヒギンズというトリオ編成での演奏を聴いている。「生の演奏を聴いてみなくちゃわからないものだ」と村上が実感した「ホットで鮮烈」な演奏は、シダー・ウォルトンが意外なほどファンキーで黒っぽく感じられる『ピット・イン』(East Wind PHCE‐2036)に収録されている。
七〇年代のシダー・ウォルトンで村上がもっとも愛聴しているのが、オスカー・ピーターソン・トリオのベーシストとして有名なレイ・ブラウンの七七年のリーダー作『サムシング・フォー・レスター』(Contemporary VICJ‐60789)で、ドラムスのエルヴィン・ジョーンズにシダー・ウォルトンというこれも正統派のトリオ編成での演奏である。花形プレイヤーを向こうにまわして臆することなく見事な呼吸でピアノを弾いているウォルトン。「ウォルトンを加えたピアノ・トリオで録音したいという希望をレコード会社に持ち込んだのはリーダーのレイ・ブラウン」だという。共演したミュージシャンが評価するピアニストであり、かなり通好みの渋いピアニストがシダー・ウォルトンである。
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