2016.10.29 書評

未来の故郷へ向かう鉄路

文: 伊藤 氏貴 (文藝評論家・明治大学准教授)

『ターミナルタウン』 (三崎亜記 著)

『ターミナルタウン』 (三崎亜記 著)

「敷かれたレールの上を走る人生」に憧れを持つ人は少ないでしょう。でも、鉄道を愛する人はきわめて多い。自分自身はそうでなくとも、少なくともまわりに一人くらいは「鉄ちゃん」「鉄子」の知り合いがいるのではないでしょうか。もし「敷かれたレールの上を走る人生」が単調で主体性のない生き方の喩(たと)えならば、なぜ鉄道を愛する人がこれほど大勢いるのでしょうか。

 もちろん、「好きなのはレールじゃなくて、列車の方だ!」と言う人もいるでしょう。「鉄ちゃん」にもさまざまな区分があるようで、「乗り鉄」「撮り鉄」「模型鉄」「車両鉄」くらいまではわかりますが、「駅弁鉄」「時刻表鉄」、さらには廃線を愛する「葬式鉄」、列車の走る音にこだわる「音鉄」となると、フェティシズムもここに極まれりといった感銘さえ受けます。

 しかし、どれほど分化したとしても、上に挙げたどの「鉄ちゃん」の愛も、鉄道の本質に向かってはいません。(怒らないでください。フェティシズムとはもともと、本質的でない部分をさえ愛し抜くことを言うのですから。)「鉄ちゃん」自身もおそらくあまり意識しない鉄道の本質とは、もちろん「鉄道」すなわち「レール」にあるのです。彼らの愛する雑誌も、「鉄道〇〇」というように「鉄道」を冠するものがほとんどでしょう。「電車〇〇」ではないのです。

 考えてみてください。もし仮に、あの車両たちが、レールの上をでなく、道路を自由に走行していたとしたら。あの巨体が交叉点を全速力でドリフトしながら曲がる姿……。カッコいいでしょうか。私にはそうは思えません。「鉄ちゃん」とは到底言えませんが、四十年以上通学通勤でほぼ毎日電車に揺られてきた身からすれば、鉄道の美しさは、決められたレールの上を決められた時刻に通過するところにあると思います。あの禁欲的な姿こそが人を魅了するのであって、なんの制限もなく好き勝手に走るということであれば、小回りの利く自動車に敵(かな)うべくもありません。鉄ちゃんとカーマニアは犬派と猫派の違いに近いと言えるかもしれません。

 どれほどの馬力とスピードを持っていようと、出しゃばったことはしない。決められた場所に決められた時間にわれわれを送り届けてくれる。その忠実にして寡黙で献身的な雄姿を文字通り支えているのがレール=鉄道です。(だから、ときに不平を言ったり気紛れを起こしたりするトーマスとその仲間たちは、私はあまり好きになれません。)

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ターミナルタウン
三崎亜記・著

定価:本体970円+税 発売日:2016年10月07日

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