原因不明の病気で入院して死にかけたりしたものの、どういうわけか死なずに現在まで生き延びている私である。よく人から「死にかけた体験で人生観や宗教観は変わりましたか?」と訊かれるが、じつはほとんど変わっていない。相変わらず私は罰当たりな無神論者だ。
退院後にいくつかのレギュラーの仕事を立て続けに失い、夫の介護なしでは遠出もできない不具合な身体で日々を鬱々と過ごしていた私に、友人の伏見憲明氏がひとつの提案をしてくれた。
「うさぎさん、旧約聖書を自分流の解釈で小説風に書いてみない? ほら、『桃尻語訳枕草子』みたいにさ、『うさぎ版創世記』を読んでみたいのよ」
その提案をいただいた時に頭に浮かんだのが、この対談本の内容だった。当時、佐藤さんにいろいろ愚かな質問をしたり偉そうに自説を開陳したりした私であるが、その成果を『うさぎ版創世記』として書いてみるのも面白いかも!
仕事もなくて暇だったので、さっそく「第一章 天地創造」を書き始めた。本書の中で私が主張している「神と悪魔は同一人物説」を基軸としたものだ。神は最初、己の中に悪魔を含有していた。しかし彼が「光あれ」と宣言して光と闇を分けた瞬間、神自身もまた「光」と「闇」に分裂し、神の中の「悪魔」という影の人格(ユング的に言えばシャドウですね)が外在化したのだ。
そして『うさぎ版創世記』はその後、「神」と「悪魔」という魂の双子の物語として展開する。神が人間に「知識」を禁じれば、悪魔は人間に知識の実を食べさせる。神が洪水でノアの一族以外の人類を滅ぼすと、悪魔は策を講じて「ノアの血を一滴も受け継がない人間」の子孫を残す。そうやって悪魔は「闇のDNA」を守るのだ。この世が一元論になってしまうのを防ぐためである。
女子校時代に習った歌の歌詞に「日は日に言葉伝え、夜は夜に知識送る」というフレーズがあった。昼(すなわち光と意識の時間)は言語によって、夜(すなわち闇と無意識の時間)は非言語的要素によって、我々はメッセージを送受信している。夜、眠っている間にみる夢は、きわめて非論理的で非言語的であるが、そこには言語化できない重大な「何か」が含まれているのだ。
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