サッカーは国を映し出す鏡といわれる。その国の歴史や風土、文化が、サッカーそのものと、それを取り巻く風景のなかに鮮やかに浮かび上がるからだ。
ブラジルやアルゼンチン、スペインやイタリア、ガーナやチュニジアなど、数々の国を旅してきたが、どの国にもそれぞれのサッカーが営まれていた。なかでも印象深いのが、二〇〇五年に訪れたイランである。「ならず者国家」とアメリカから指弾されるこの国で、サッカーは国民的スポーツを超えた民族の誇りとして位置づけられる。
イランのサッカーにとって最大の栄光は、一九九八年フランス・ワールドカップにおけるアメリカ戦での勝利である。このときの映像は、いまでもテレビ番組の合間に頻繁に流され、民族の誇りを再確認する重要な機会となっている。
フランスで代表チームが仇敵アメリカを打倒したとき、イランは国中が大混乱に陥った。男はもちろん、普段は自宅でひっそりと暮らしている女性までもが家を飛び出し、あろうことか髪を覆い隠しているスカーフを取り払って踊りだした。暴走する群衆を取り締まるはずの警察官も、車の上で飛び跳ねていたという。
イランでは、婚前の男女がデートすることも、公園でのど自慢をすることも許されていない。そんな鉄の規律が、たかだかサッカーの一試合の勝利によって、脆(もろ)くも崩れ去ってしまったのだ。
これがイランにおけるサッカーの影響力である。国際社会から孤立するイランには、アメリカやイギリス、ドイツといった大国と対等に勝負できるものが、ほとんどない。勝負することすら許されていない。だが、サッカーでなら、それがかなう。その勝敗がスポーツの結果を超えた重大性を持つのは、ある意味で自然なことだろう。
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