言葉というのは、とても不思議だ。
犬、と書けば、
犬、を思い浮かべることができる。
犬は、どこにでもいるし、誰でも知っている。
犬と書けば、犬が伝わる。猫と書けば、猫が伝わる。
犬と書いて、猫が伝わるのはたいへんに困る。
そういうことは、間違え、という。
間違えに気づけるほどに、僕らは犬を知っている。
いまだ知らない、なにかのことを、言葉にすることができない。
人は、知っていることしか、言葉にできない。
それなのに、にもかかわらず。
人は、すでに知っていることは、言葉にしない。
どこにでもいる、誰でも知っているその犬が、
ここにしかない、たった一匹の犬に思えたとき、
人は、犬のことを語り始める。
誰もが知っている、犬という言葉で。
娘のことを書いた。
どこにでもいる娘について書いた。
ここにしかいない娘について書いた。
自分の娘であるような、誰かの娘であるような、誰の娘でもないような。
娘ですら、ないような。
それでも今、彼女は、まるで私の娘のように見える。
正直なところ、正体は、わからない。
よくは、わからないので、書いてみようと思った。
「別冊文藝春秋 電子版6号」より連載開始