2013.12.02 文春写真館

愛棋家山口瞳が「乱坊」と呼んだ米長邦雄

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

愛棋家山口瞳が「乱坊」と呼んだ米長邦雄

〈米長邦雄は なんとも小気味のいい棋士である/彼の将棋は まさに一刀両断 斬れ味の鋭さでは右に出る棋士はいない これでよしと見極めたら強引に突っ込んでゆく/乱暴だから「乱坊」という渾名をつけた〉(「別冊文藝春秋」一二一号[昭和四十七年=一九七二年九月一日発行])

 A級八段に昇って二年目、まさに日の出の勢いだった米長邦雄をこう評したのは、作家で愛棋家としても知られた山口瞳(写真右)である。

 米長は昭和十八年、山梨県南巨摩郡に生まれる。小学生の頃から「天才少年」と称えられ、十九歳でプロ四段に。「三人の兄は頭が悪いから東大へ行った。私は頭がいいので棋士になった」という発言は、広く人口に膾炙している。

 棋風は「さわやか流」とも「泥沼流」ともいわれた。四歳歳下の中原誠らと死闘を繰り広げ、十八のタイトルを獲得するが、どうしても手が届かなかったのが、棋界最高峰の名人の座。しかし、平成五年(一九九三年)、四十九歳十一ヶ月のとき、実に七回目の挑戦で中原からその座を奪った。

 その翌年、名人を羽生善治に明け渡し、平成十五年に引退。平成十七年からは日本将棋連盟会長として、賛否両論が飛び交うなか組織の改革に辣腕をふるった。

 平成二十四年一月、棋士とコンピュータが闘う「電王戦」に出場するが、ソフト「ボンクラーズ」に敗れる。元名人の敗北は、衝撃とともに大きな話題を呼んだ。

 同年十二月十八日、前立腺がんのため永眠。享年六十九。先崎学、中川大輔、中村太地など、門下に多数の俊英を育てたが、七大タイトルを獲得した弟子はまだ出ていない。

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