2014.05.07 書評

解説――満洲、そして匂いたつ言葉たち

文: 久世 朋子

『草の花 俳風三麗花』 (三田完 著)

 三田完さんとの初めてのお目もじは「茉莉花」仕舞いの夜だった。

 私の夫であった久世光彦がひょいと三途の川を飛び越えて、残された私はひと恋しさにおずおずと、銀座に茉莉花というバーを開いた。それから五年が経って、もう一生分の人に出会えた、そろそろ幕引きの頃合いだと決めた仕舞いの夜、だった。

 そうとは知らずのおでましに、それも生前に私をかわいがってくれた上村一夫さんのひとり娘である汀ちゃんの案内で、なにかご縁があるようで気になった。けれどその夜は初めましての挨拶だけ、ひとりカウンターの中で右往左往しているうちに、三田さんはそっとお帰りになられた。

 長い最後の夜が終わって、灯りを落とそうとして気がついた。隅の椅子の上に帽子が残っている。その横にはジョーゼットのマフラーも。どなたかの忘れ物だ。「濃鼠(こねずみ)」のソフト帽に「幽(かす)かな」白を効かせた貝紫のマフラー、こんな粋な組み合わせをまとう方は、と考えて、ふっと目に浮かんだのが三田さんだった。

 やはりそうであった。忘れ物を小さな箱に詰めて、思いついて久世の著書『マイ・ラスト・ソング』を入れてお送りした。末期の刻に聴きたい一曲を探し続ける、その本を私はなぜ入れたのか、ほどなくして届いた礼状にそえられていた、昭和の歌との濃密な時間を綴った三田さんのご著書『歌は季につれ』を読んで合点がいった。三田さんは作家ではあるが、テレビの、それも歌謡番組の制作を長くつとめ、四十をすぎて書き始めたという。久世と同じく、戦後というあのころに少年だった、阿久悠さんの息づかいを長らく傍らで聴いていた、とも。そうして俳句。

 久世も俳句が好きだった。ただし鑑賞するだけで、詠むことはしなかった。仕事机の上には常に、形見の高浜虚子編の俳諧歳時記があった。久世の父は職業軍人でありながら、鵼王という雅号をもつホトトギス派の俳人だった。といっても趣味の域を出ない、がたったひとつの趣味であった。だから俳句は父の聖域であると、手をそめなかったのだ。三田さんにもそんな時があったと知った。――私は三田さんに、久世と同じ匂いをかぎとっていたのだ。

 素敵な「手蹟」であった。三田さんの手にかかると、「日本橋の紙舗、榛原(はいばら)で購(あがな)った」蛇腹便箋の、朋という字が「莞爾と笑む」。

 その日から、同じ三月生まれで一つ年上の三田さんに、私は老朋友にしていただいた。それまで縁がなかった歌舞伎や文楽、落語の面白さを教えてくださったのも三田さんだ。


 物語のはじまりは昭和十年三月、満鉄大連病院への赴任が決まった三麗花のひとり、東京女子医専の学生であった池内壽子の卒業式からである。前作の『俳風三麗花』の、昭和七年、満洲国の建国宣言がなされた年の夏に、日暮里渡辺町の暮愁庵句会で出会った三人娘に歳月は過ぎ、阿藤ちゑは日本橋で東京帝大工学部助教授の妻に、浅草藝者の松太郎は六代目菊五郎の世話に、そうして池内壽子は医師として「柳絮」舞う大連へ。二・二六事件をはさんだ戦前の、凪いだ青海原のように、日本がつつましくも豊潤だった時代。

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草の花
三田 完・著

定価:740円+税 発売日:2014年04月10日

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<自著を語る>三麗花の肖像(単行本) 三田 完