- 2016.09.22
- インタビュー・対談
84歳でも元気ハツラツ!
爆笑エピソードで綴るテレビ黎明期、きらめくスターたちとの交流
「本の話」編集部
『崑ちゃん ボクの昭和青春譜』 (大村崑 著)
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#随筆・エッセイ
昭和30~40年代、『とんま天狗』などの番組でコメディアンとして絶大な人気を獲得、その後は俳優、司会、コメンテーターとして長く活躍し続ける大村崑さん。ダイハツのミゼットや、今もホーロー看板が各地に残るオロナミンC(大塚製薬)など多くのCMにも起用された国民的な人気者が語るその軌跡は、昭和の芸能史でもある。
――テレビの人気絶頂の裏話、昭和を彩るスターや喜劇人とのエピソードが満載ですね。
「あの時代は、エネルギーいっぱいで、本当に毎日が面白かったですね。みんな才能にあふれていて、テレビ、舞台、そして地方公演などでも笑えるエピソードがいっぱいありました。江利チエミちゃんと高倉健さんが劇場の楽屋で、半分に切ったメロンをカレーのスプーンで食べていた“衝撃”の光景に始まって、『桃屋』のCMの三木のり平さんに間違われてばかりいる話、美空ひばりさんが耳元で名曲『柔』を歌ってくれた話、ハリウッド映画で僕がやるはずの役を高倉健さんに奪われた話、『とんま天狗』の大ファンだった一八代目中村勘三郎さんとの共演などなど、僕が出会ったスターや喜劇人とのエピソードを『「崑ちゃん」秘話』という章でまとめています」
――それもまさに抱腹絶倒と呼ぶにふさわしい話ばかりです。
「これらの話は、僕にとっては“ボヤキ”なんですよ。中でも『未完の話』という章では思いっきりボヤいてます。森繁久彌さんからもらうはずの船が未だに届いてない話、そして未だに届かないクルマの話。この二つの話はよく講演でも話すんですが、いつも大爆笑になります。クルマの方はこんな話。昔テレビ『やりくりアパート』のミゼットの生CMで、ダイハツさんはものすごく売り上げを伸ばしたんです。そのお礼として、僕と佐々十郎に乗用車とダンプがプレゼントされるはずだった。ところがこれが未だに届かないんです。もう半世紀以上も経っているのにね。これは積年のボヤキと言っていいでしょう。佐々さんは『ダンプ、ダンプ。ダンプまだきいひん』言うて死んだんですよ(笑)」
――幼少時代の思い出、伯父夫婦に育てられた少年時代、そして戦後の意外な素顔も描かれていました。
「僕はどうしても『とんま天狗』やオロナミンCの『崑ちゃん』のイメージが強いので、これまではそのイメージを壊さないようにと気をつけてきました。でも僕も84歳です。そろそろイメージとは違った面をさらしてもいいかなと思いました。生い立ちも普通じゃなかった。9歳の時に大好きだった父親が腸チフスで亡くなり、伯父夫婦の子供になったんです。本家の跡取りですね。とんでもなく厳しい伯母に育てられました。戦後は進駐軍の闇物資を売る商売を、のちに有名人となる男とやったりしてましたね。キャバレーのボーイだった頃は、よく喧嘩もしてた。当時の写真見ると手には包帯をしている。まさに喧嘩の名残りですね。ある意味で、そういう気の荒いところもあったから、芸能界という特殊な世界で生き残ってきた、という想いもあるんですよ」