2013.04.12 書評

世界中のセレブを魅了する最高峰、
アマンリゾーツ誕生の秘密

文: 山口 由美 (作家)

『アマン伝説 創業者エイドリアン・ゼッカとリゾート革命』 (山口由美 著)

 アマンプリという謎めいたリゾートがタイのプーケット島に開業したのは、1988年のことだった。

 そこには、黒いタイルの敷き詰められたプールがあった。泳ぐため、というよりプールサイドでシャンパンを飲むための、そして愛を語らうための、神秘的で、エロティックな黒いプール。本書の表紙写真がそれである。

 90年代前半、ごく早い時期にアマンリゾーツを日本に紹介した知人の編集者によるならば、アマンは、新しもの好きで好奇心旺盛なニューヨークの社交界で話題を呼び、彼らの口コミで評判が広がったという。従来のホテルの常識を覆し、一般的な広告宣伝を行わず、当初は旅行会社とのコネクションさえ持たず、一部の富裕層の口コミだけによって、新たなブランドを築き上げたのが、創業者のエイドリアン・ゼッカという男だった。

 日本でアマンリゾーツの名前が広く知られるようになったきっかけは、文藝春秋の女性誌『クレア』の別冊として誕生した『クレア・トラベラー』が、2000年10月に出版した『「至高の楽園」アマンリゾーツのすべて』だろう。同誌がまさにそうだったように、美しい写真で憧れをかきたてる雑誌や写真集で、これまでアマンは数多く取り上げられてきた。だが、都市伝説的に語られるいくつもの噂や、謎めいたゼッカの人物像やリゾート誕生の背景が明かされることはなかった。

 エイドリアン・ゼッカは、しばしば最初のリゾート、アマンプリの開業は「アクシデント」だったと表現する。実際に、当初、プライベートの別荘用地として土地を購入したのは事実だが、彼の人生をひもとくと、アマンリゾーツには、生まれるべくして生まれたいくつかの伏線があった。

 そのひとつが、後に2つ目のアマンが開業するバリ島である。戦後の混乱期にあったインドネシアのジャカルタでジャーナリストとして歩み始めたエイドリアンは、たまたま訪れたバリ島の魅力にとりつかれた。同じ頃、もうひとり、才気あふれる若者がバリ島にやって来る。植民地時代のインドネシアで、同じように東洋と西洋の血が交じり合う家族に生まれ、欧米で教育を受けた彼らは、少年時代から互いを知る仲でもあった。

 その男、ウィヤ・ワォルントゥが、バリ島・サヌールに手がけたリゾート、タンジュンサリで、70年代、後のアマンリゾーツの原型となるものが生まれた。すなわち、世界のセレブリティが集まり、タキシードやハイヒールでかしこまるのではなく、裸足になって水着にサロンを巻き、ビーチで休日を過ごす、それこそが最高の贅沢とするライフスタイルである。そして、隣接する別荘地、バトゥジンバの建築家として招聘されたのが、アジアンリゾートのスタイルに大きな影響を与えるスリランカ人建築家、ジェフリー・バワだった。そのバトゥジンバに、エイドリアンの最初の別荘があり、アマンプリの黒いプールのアイディアは、そこで試作されたのである。

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アマン伝説

山口由美・著

定価:2048円(税込) 発売日:2013年04月12日

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