2012.12.25 文春写真館

菊田一夫に見出されて開花した「日本のお母さん女優」森光子

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

菊田一夫に見出されて開花した「日本のお母さん女優」森光子

 大正九年(一九二〇年)、京都の割烹旅館の娘として生まれる。嵐寛寿郎の従姉妹にあたり、「寛プロ」の所属として映画界に入り、娘役として多くの映画に出演。喜劇映画の脇役ばかりだったのが不本意だったようで、若手映画監督との婚約と解消をきっかけに、映画女優を辞め、歌手を志して二十一歳で上京する。

 戦時中は日本軍慰問団として中国・南方を回り、戦後は進駐軍キャンプでジャズを歌った。日系二世の米軍属と婚約したが、一緒に渡米する道を選べず別れる。昭和二十四年(一九四九年)には肺結核となり、京都に帰り闘病、一時生死の間をさまよった。

 波乱万丈の芸能生活だったが、昭和三十三年、梅田コマ劇場に脇役で出ていたのを、菊田一夫に見出されたことが転機となる。ふたたび上京、東宝の舞台に立つ(この間にラジオ演出家と結婚、のち離婚)。昭和三十六年、菊田の脚本による「放浪記」で、はじめての主役、林芙美子役を演じる。これが生涯二千十七回の上演を数える、森光子のライフワークとなった。

 写真は昭和三十九年、菊田一夫(左)らとの座談会のときに撮影。

 昭和四十一年からテレビドラマでも主役も演じるようになり、「天国の父ちゃんこんにちは」「時間ですよ」「銀座わが町」などの好演で、「日本のお母さん」女優の地位を不動のものとした。

 舞台、ドラマでよきお母さんとして活躍しつつ、自身は晩年まで「恋多き女性」として振る舞い、若手俳優、歌手から慕われた。平成二十四年(二〇一二年)十一月十日、肺炎で死去。

画像貸出しについて
文藝春秋写真資料部は、テレビ、新聞、雑誌をはじめさまざまなメディアのニーズに迅速にお応えできるよう貸出しの体制を整えております。デジタル化された写真データは、現在約25万点。「文藝春秋」の「日本の顔」はじめ数々の企画もの、「週刊文春」のスクープ写真、「Number」のスポーツシーン、「CREA」や「CREA TRAVELLER」の国内外の自然の風景、さらには戦前の人物や行事を取り上げた資料的価値の高い貴重な写真もとりそろえております。
詳しいお問い合わせはこちらまで
(株)文藝春秋 写真資料部  電話:03-3288-6122 FAX:03-5276-7004