2004.05.20 書評

〈特集〉浅田版「新選組」
芹沢鴨のこと

文: 菊地 明 (幕末維新史研究家)

『輪違屋糸里』 (浅田次郎 著)

〈特集〉浅田版「新選組」
〈対談〉糸里が生きた「輪違屋」の魂 高橋利樹(輪違屋十代目当主)×浅田次郎
〈インタビュー〉新選組が出ていったときはスッとしたそうです 八木喜久男(八木家十五代当主)
・芹沢鴨のこと 菊地明
侍にも優る気概をもった女たち 縄田一男

『輪違屋糸里 上』 (浅田次郎 著)

 幕末には志士たちの間で変名を用いることが流行しており、近藤勇とともに新選組の局長をつとめた芹沢鴨(せりざわかも)も、変名を名乗ったひとりだった。

 この「芹沢鴨」という名前が変名であることは、京都の近藤が文久三年に郷里へあてて書いた手紙に、「下村嗣司こと改め芹沢鴨と申す仁」とあることから明らかであり、同時にその本名も知ることができる。「嗣司」は嗣治、継次とも記されていることから、「つぐじ」と読んだものと思われる。

 鴨は諸記録にあるように水戸の出身で、現在の茨城県行方(なめかた)郡玉造町には、かつて芹沢村があった。この芹沢村は、室町時代に相模国から移り住んだ芹沢俊幹が居城を構え、当時の朝日岡という地名を改めたものである。その五代後の芹沢通幹の子供の時代に、水戸徳川家より二百石で召し抱えられ、分家が水戸藩士となり、本家は芹沢村の家を継いだ。

 その本家の芹沢家十代目を芹沢貞幹といい、貞幹の三男として生まれたのが光幹であり、これが芹沢鴨である。

 鴨の生年については、文政十年(一八二七)、天保元年(一八三〇)、天保三年と諸説があるが、長兄の興幹が文化七年(一八一〇)、次兄の成幹が文化九年の生まれであること、父親の貞幹が元治元年(一八六四)に八十歳で死亡していることから、文政十年とするのが妥当なようだ。

 芹沢家は当然、興幹が継いだが、天保十三年に継嗣がないまま死亡したため、養子に出されていた成幹が戻って家督を継いだ。このとき光幹も養子に出されており、その養家が松井村の神官である下村家だった。

 だからこそ、鴨は芹沢家の出身で、芹沢を名乗りながらも、本名は「下村」だったのである。

 嗣司という通称は、芹沢家が名付けたものか、下村家で名付けられたものかは不明だが、鴨が本名を名乗っていた記録が水戸藩にある。

 尊王攘夷活動が盛んな水戸藩にあって、藩内の有志が攘夷決行のために玉造等に結集し、その資金を各地の豪商より調達した。もちろん、強要である。彼らは「玉造勢」などと呼ばれ、それらの借用書のなかに下村嗣司の名前を見ることができる。

 この間、鴨は潮来(いたこ)宿で三人の同志と議論になり、彼らを斬ってしまったという。また、鹿島神宮に参詣したさいには、何が癇に触ったのか、手にしていた鉄扇で拝殿の大太鼓を叩き破ってしまったとも伝わる。かなりの短気だったらしい。

 玉造勢の行いを見捨てておくわけにはいかず、水戸藩では彼らの捕縛に乗り出し、鴨は文久元年(一八六一)二月二十八日に捕らわれ、投獄されていた。そして、斬罪梟首と(きょうしゅ)いう判決を受けるのだが、獄中の鴨は絶食し、指を噛み切って、流れる血で「霜雪に色よく花の魁(さきが)けてちりても後に匂ふ梅が香」(みやこのにしき)との和歌を短冊に認(したた)め、牢格子に張り付けて死期を待ったという。

 しかし、翌文久二年十二月二十六日、鴨は大赦によって釈放された。

 この大赦を幕府に進言したのが、同時に浪士を募集して治安の悪化した京都に送り込むという、浪士組結成を幕府に建言した清河八郎である。清河は獄中の攘夷過激派を大赦によって救い出し、みずからの攘夷運動に加えようとしていたのだった。

 それを知ってか知らずか、釈放された鴨は浪士組に参加するため江戸に出るのだが、このときから「芹沢鴨」と称したようである。

【次ページ】「鴨」の由来

輪違屋糸里 上
浅田次郎・著

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