2013.05.07 文春写真館

勝新太郎はセリフを覚えるよりも「食っちゃえ」と思った

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

勝新太郎はセリフを覚えるよりも「食っちゃえ」と思った

 勝新太郎は本名奥村利夫。若山富三郎は兄にあたる。昭和六年(一九三一年)に生まれる。父は高名な長唄、三味線の師匠だった杵屋勝東治。幼いころから、父が演奏する舞台の「御簾(みす)」に出入りし、観客を眺めていた。十代のころは長唄と三味線で頭角を現したが、裏方よりもスポットライトのあたる場を求め、父が参加するアヅマカブキのアメリカ巡業に同行した際、ハリウッドでジェームス・ディーンに出会う。これがきっかけで映画俳優になることを決意する。

 大映京都と契約、「花の白虎隊」でデビューするが、同年代の市川雷蔵が脚光を浴びたのと対照的に、プログラム・ピクチャーに多数出演するものの、評価は低かった。しかし、「次郎長富士」(昭和三十四年)の森の石松や、昭和三十五年、「不知火検校」で演じた野心的な悪僧が評判を呼ぶ。そして「座頭市物語」「兵隊やくざ」シリーズが大ヒットし、不動の人気を獲得した。

 昭和四十二年、勝プロを設立、映画製作に乗り出し、独特の演出で新機軸を打ち出した。

〈おれは、どうしても(セリフを)覚えられないから「何をこれは言いたがってるのか」というところだけを、まず読んじゃう。そうすると、もうセリフは三行ぐらいで済んじゃうんだよ。十五行のセリフが。言いたいのは、それだけなんだから。そこで、セリフを読むんじゃなくて、セリフを食っちゃえ、と思った。その活字を食って、グッと呑みこんで、「ははあ、蟹とトリと野菜が入ってたな。この三つでできあがってるな」と、それだけはわかるから。それだけを自分の言いかたで言やいいな、という気におれはちょっとなったわけ〉「別冊文藝春秋」平成九年=一九九七年冬号)

 しかし、黒澤明監督の「影武者」主役降板などさまざまなトラブルを起こし、どんぶり勘定の経営があだとなって、多額の負債を抱えて勝プロは昭和五十六年倒産。平成二年、ハワイで薬物所持の疑いで現行犯逮捕される。帰国後も麻薬及び向精神薬取締法違反容疑で逮捕され、有罪判決を受けた。晩年は舞台に活動の場を移すが、平成九年、下咽頭がんで死去。

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