2013.08.27 書評

風の立った場所

文: 関川 夏央 (作家)

『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』 (半藤一利・宮崎駿 著)

『腰ぬけ愛国談義』で対談相手の半藤一利に、「監督ははじめてご自分の映画(『風立ちぬ』)を見て涙ぐまれたという噂を耳にしました。ほんとうですか」と尋ねられ、宮崎駿は答えた。

「ほんとに情けないですが、ほんとうです。ぼくは遅れてきた軍国少年でしたから、そういう心情に触れるところがあったんですね」

『風立ちぬ』といえば、世代によっては松田聖子を連想するだろう。堀辰雄を思い出す人は意外に少ないようだ。宮崎駿も『風立ちぬ』を青年期に読んだが、「なんだか全然響かなかった」。だがその後、堀辰雄の読者とは、「自分がいちばん美しかった時を、時代のせいで失ってしまった人たち」ではないか、と考えるようになった。

 恋人と夏の軽井沢で出会った。しかし肺結核を病んだ恋人はやがてサナトリウムで亡くなり、青年はひとり残された。そんな小説の題名は、ヴァレリーの詩の1行「風が起こる。生きるべくつとめなければならない」からとられた。これを「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳したのはうまかった。

 堀辰雄が矢野綾子に出会ったのは昭和八年(1933)夏である。その翌年、堀辰雄の1歳年長、30歳の堀越二郎は、三菱が社運をかけた海軍の九試(昭和9年試作)単座戦闘機の設計を任された。当時の航空機業界は、三菱、中島、川西、川崎、どの会社も若い技術者が中心だった。

 9年9月、堀辰雄は23歳になる矢野綾子と婚約する。彼女は『風立ちぬ』のイメージと異なり、大柄ではっきりした性格の、成城の銀行家の娘であった。

 昭和10年に堀越二郎が「進空」させた九試単戦1号機は、単葉・逆ガル型ウイングの美しい飛行機である。その年の夏、堀辰雄は病の進んだ綾子とともに、かつて自分が療養した長野県富士見高原のサナトリウムに入った。しかし12月、矢野綾子は死去する。12年、堀辰雄は軽井沢で『風立ちぬ』を書き上げる。

 堀越二郎が量産型零戦の原形となる十二試艦上戦闘機の開発命令を受けた昭和12年は、モダニズムが流行し、社会に享楽的空気が満ちた昭和戦前のピークであった。

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半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義
半藤一利・著 宮崎 駿・著

定価:599円(税込) 発売日:2013年08月06日

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