二〇一五年四月に刊行された『ご隠居さん』も、好評のうちに巻を重ね、『心の鏡』『犬の証言』に続き、今回の『出来心』ではやくも四巻を数えるに至った。
文庫書き下ろし作品としては、寡作ながら、そのホノボノとした作風は、しっかりと読者の心を掴み、『この時代小説がすごい! 2016年版』の「目利きが選ぶ! 文庫書き下ろしBEST20」では、第十位にランクインしている。
このムック本の中で、野口卓は、「ご隠居さん」シリーズに触れ、次のように記している。
2015年4月刊行の「ご隠居さん」は、明治後期にガラス鏡が普及するまでの、江戸の青銅製鏡の磨ぎ師が主人公。「女性のいるところに鏡あり」で、大名や旗本の屋敷、商家から長屋まで鏡を磨いで廻ります。あらゆる階級や職業の老若男女と触れ合いながら、どんな物語を紡いでいくことか。(中略)先行シリーズの剣豪、同心ものは多くが男性読者でしたが、本作はぜひ女性にも読んで頂きたいと思います。
そして、第三巻『犬の証言』に収録されている「幸せの順番」「コドモルス」をそうした作品として挙げている。
野口卓のデビュー作である『軍鶏(しゃも)侍』は、私たちが久々に味わう厳しいまでの士道小説であったし、それは、この作品がシリーズ化された後も、唯一番外篇の『遊び奉行』を除いて変わることはなかった。
そして小気味良いまでの捕物帳『北町奉行所朽木組』も同様で、これら一つの世界を突きつめていく物語は、どうしても硬派で男性的な世界観を持つようになってしまう。
これに対して物語が招かれている場合――先の引用でいえば、主人公の職業が、大名や旗本の屋敷、商家から裏長屋まで、あらゆる階級や年齢を無化してしまう場合、読者はそれこそ、老若男女を問わず広がることになるのである。
大名から町人まで、皆、同じ人間であり、生きているからこそ、そこから生まれる喜怒哀楽も変わらない。そしてこれを落語を中心とした江戸芸能の味わいで包みこむ。
だからこそ「ご隠居さん」シリーズは愛されるのではないだろうか。
もともと作者には、シェイクスピアや落語関係の著作もあり、その教養は並大抵のものではないのである。