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吉本隆明は最期まで<br />精力的な言論活動を続けた

吉本隆明は最期まで
精力的な言論活動を続けた

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

「ヨシモトリュウメイ」と人は呼ぶ。吉本隆明(よしもと・たかあき)は大正十三年(一九二四年)生まれ。東京工業大学卒業。詩人として出発し、昭和二十九年(一九五四年)、「マチウ書試論」で思想界にデビュー。六〇年安保以後は、新左翼運動の精神的支柱の役割を果たし、その著作集がバイブル視された。

<ただ六〇年安保のときは、主役の全学連のシンパとして(中略)くっついていくという、それこそ受け身で。(中略)だから、全学連の指導者だとか、安保のときの神様と言われると、まったく照れる以外にないですけどね><公的な評価がそうだったら、俺はそうじゃないと思っていても、引き受けようじゃないかっていうのがあるわけです。それは非常に重要なことなんだなっていうのは、そのときの体験で初めて得たことですね>(「週刊文春」平成十年=一九九八年三月二十六日号「阿川対談」より)

 西行や宮沢賢治などの文学評論から、ファッション、サブカルチャーにも関心を寄せ、幅広い評論活動を展開した。オウム真理教事件でも積極的に発言したが、このときは激しい批判にさらされた。

<オウム真理教っていうのは、単なる殺人集団だって片付けちゃダメだぞ、(中略)と主張したつもりなんだけど、世間では「あいつはオウム真理教を擁護した」って言われたんですよ><ハァーと思うんだけど、「俺、擁護しなかった」って言っちゃいけないということは、あのとき(六〇年安保)の体験だと思いますね。だから、言わなかった>(同)

 最期にいたるまで、原発問題など精力的な言論活動を続けた。平成二十四年三月没。

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