誰かを想うということは、足りない、と思い知らされることでもある。私の友人は、愛はそこから始まるのだと言い切っていたけれど、至言だと思う。その人のために何かをしてあげたいと思うほど、何もできない自分を思い知らされる。だけど何かをするしかないのだ。自分にできるだけの何かを。
橋本紡さんの描く物語はいつも、優しい鋭さを持った愛に溢れている。橋本さんは、大好きな女の子との生活を守るために作家になった、と語っているが、本書はその「大切な人を守ること」への想いを濃厚に詰め込んだ、著者の原点ともいうべき作品だろう。
主人公の裕一は伊勢市に住む普通の高校生だ。普通の定義が何かはさておき、飲んだくれて金遣いの荒い父親に苦しんだ過去を持つ以外は、とりたてて特筆すべき点があるわけではない男の子。そんな彼が肝炎を患い、入院した病院で、心臓を患う少女・里香に出会う。幼い頃から入院を繰り返していたせいで癇癪持ち、気難しい美少女が、あることがきっかけで裕一に心を開くようになり交流を深めていく、という筋自体はシンプルなボーイミーツガールの物語だ。けれどそこには、甘酸っぱい恋だけではなく、誰かの人生を引き受けることの重さと覚悟が繰り返し描かれている。
とにかく伊勢市以外の場所に出て行きたい、広い世界を見てみたい、と望む裕一にとって、残酷な言い方をすれば里香は足かせでしかない。完治は望めないと医師が断言する里香に寄り添うのなら、裕一は想像以上にたくさんのものを諦めなくてはならない。人生の決断に他人を介在させるのは危険だ。彼女のせいで――そう思わせたくない、思われたくないがゆえに2人を近づけまいとする大人たちもこの作品には登場する。
大人たちと少年少女
自分が大人になったせいか、私は主人公2人よりも彼らに心を奪われた。特に、里香と同じ病で妻を失った過去を持つ、里香の担当医・夏目。大人げないほどに裕一に絡み、意地悪をし、やっかみ、殴る。それは裕一が心配だからというよりも、ただ愚直なまでにまっすぐで考えなしの裕一がムカつくからだろう。
はじめての恋、というのは強い。
がんばれば、無理も可能にできると信じてしまう。どこかで突破できるかもしれないと全力で走ることができるのは、たぶん最初の1度だけだ。そしてそれを貫き通せる人は多くはない。気持ちではなく現実が、想いを阻むことは往々にしてある。「無理なものは無理なんだ」と1度知ってしまった大人にとっては、その姿を見せつけられることほど腹の立つことはない。もしかしたら彼らなら突破できるかもしれないと、わずかでも思わされてしまったらなおさらだ。そんな夏目からにじみ出ている、ちきしょう、という感情が私にはとても愛おしい。夏目を理解しがたいと、いつもぷりぷり怒っている元ヤンの看護師・亜希子さんのストレートな優しさも好きだ。〈たとえ短くても、思いっきり幸せで、思いっきり笑える瞬間があれば、それだけでいい〉〈そういうのだけで生きていける〉、そのシンプルな言葉と感情の強さが、ねじくれた夏目の隣ではきらきらと、ひときわ輝く。
とはいえ裕一は、ただ純粋なだけの男子ではない。里香に怒られると知っていながら、譲り受けた1000冊以上のエロ本コレクションをしっかり隠し持っているし、弱っているときに色気たっぷりの年上のお姉さんに誘われれば簡単に惑わされて乗せられる。「好き」という感情だけが自分を動かすわけではないことも、感情というものがいかに危ういものかも、無意識にちゃんとわかっている。だから彼はいつも「半分の月がのぼる空」を探す。1つでいいから確かなものがあれば、信じていられるはずだから。けれど月が見えない日には、迷い続ける。いつか必ず自分より先に死んでしまう彼女に何ができるのか。足りないだらけの自分が、どうすれば彼女を、幸せに笑わせてあげられるのかと。この物語に胸を打たれるのは、2人の恋が美しいからではない。裕一のその迷いと、その蓄積で固められた覚悟が尊いからだ。
ちなみにこの作品の登場人物は多く文豪と同じ姓を戴いているが、『銀河鉄道の夜』や『ピーターラビット』といった古典作品が小道具として挿入されるのも特徴だ。特に『チボー家の人々』は里香と裕一が想いを伝えあうために使われる。実は、全編を通じて一度も互いに「好き」と伝えない2人が、それでもしっかり心を通わせているところに、想いの揺るぎなさが表れている。全身全霊をこめて他人を想うことの強さを、この作品は惜しみなく読者に教えてくれるのだ。
(シリーズ全4巻。3巻は8月刊、4巻は9月刊予定)
合本 半分の月がのぼる空
発売日:2016年05月27日
半分の月がのぼる空 1
発売日:2013年09月27日
半分の月がのぼる空 2
発売日:2013年09月27日
半分の月がのぼる空 3
発売日:2013年09月27日
半分の月がのぼる空 4
発売日:2013年09月27日
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