ボビー・フィッシャーほど神話的人物の呼び名がふさわしい人もいない。彼はゴリアテを倒したダヴィデである。かつてフィッシャーはたった一人、徒手空拳でチェス王国ソ連に挑み、相手を打ち負かした。彼は太陽に近づきすぎたイカロスである。独力で世界チャンピオンになったフィッシャーは自分の天才に溺れ、世界チャンピオンの称号を放棄してしまう。才能の重みに耐えられず、みずから破滅を選んでしまったのだ。制裁下のセルビアで開催したチェス・マッチのせいでアメリカに帰れなくなり、アイスランドで孤独に客死する。破滅する天才の神話をなぞったボビー・フィッシャーの生涯を天才ゆえの悲劇と語るのはたやすい。これまでもそんな宿命的な物語がくりかえし語られてきた。
本書に登場するボビー・フィッシャーは、そうした神話からはほどとおいところにある。彼はただ人よりちょっとばかり頑固で、ちょっとばかり思い込みが強すぎ、そして妥協を知らなかった孤独な少年だ。その少年にはあふれんばかりの才能がそなわっていた。それゆえに彼は栄光をつかみ、そして破滅することになる。だが、すべてを失って荒野を放浪するときもなお、彼は少年のままだった。
本書には棋譜はいっさい載っていない。フィッシャーがいかなる天才で、その失墜がどれほど惜しまれたのか、いちばんたやすいのはチェスの棋譜で伝えることだろう。フィッシャーの友人だったという著者は相当のチェス・プレイヤーだったはずである(フィッシャーはチェスをプレイできない人は決して信用しなかった、とたびたび記されている)。一九七一年の挑戦者決定戦で見せつけたフィッシャーの別次元の天才ぶりだけでも一冊の本が書けたはずだ。だが、にもかかわらず著者はチェスの天才以上に、フィッシャーの孤独な魂を描写する。
フィッシャーの栄光はあまりに短かった。本書においても、栄光よりもそののちの放浪期間(「荒野の時代」)のほうがはるかに長い。だがそこにこそ、この本の良さがある。多くの人がフィッシャーに魅了され、だがやがてそのわがままにうんざりして袂をわかつ。そんな中で最後までフィッシャーの忠実な友でありつづけたのが元世界チャンピオンのボリス・スパスキーである。世界選手権でフィッシャーに敗れてすべてを失ったスパスキーが誰よりもその才能を惜しんでいた。真剣勝負を戦ったものだけの魂の触れあい、不思議な絆を思わずにいられない。