物語の冒頭、朝斗が幼稚園でトラブルに巻き込まれるエピソードが印象的だ。子どもどうしのよくあることなのだが、その時、佐都子は、やっていない、と言う朝斗の言葉を信じることにする。もし、朝斗が嘘を吐いていて、後でそれがバレて、謝ることになっても、罵られることになっても構わない、と。朝斗と一緒に怒られよう、と。朝斗はやっていないよね、と出かかった声を、佐都子は呑み込む。「それは、この子に、自分の希望する答えを押しつけることだ」と。
このくだりが光るのは、佐都子がどれだけ朝斗のことを尊重して、心をくだいて育てているかが分かるからだ。四十一歳という高齢で朝斗を授かった佐都子だからだろう、と思いつつ読んでいると、読者はすぐに意外な事実を知らされる。朝斗は佐都子の実の子ではなく、養子として貰い受けた子どもだったのだ。
そこから、佐都子と清和夫妻が、不妊治療を経て、朝斗を我が子として貰い受けるまでと、朝斗の産みの母のことが語られる。朝斗を産んだのは、まだ中学生の少女、ひかりだった。「ベビーバトン」という団体を仲立ちにして息子を手放したひかりが、六年という月日を経て、「子どもを、返してほしいんです」と佐都子夫婦の目の前に現れるまでのドラマ――ひかりが母親との葛藤から逃れ、朝斗を産んだ広島に行き着くまでと、それからの日々――は、読んでいてひりひりするほど切ない。
けれど、本書を揺るぎなく貫いているのは、“二人の母”が小さな命に寄せる想いだ。幼いひかりが、幼いなりに、宿した命を慈しむ姿。生まれて間もない小さな身体を抱いた瞬間に「朝が来た」と思った、佐都子の姿。そこにあるのは、全ての生まれてくる命への、静かで、強い肯定なのだ。そこがいい。そこが本当にいい。
ラストシーン、さわさわと柔らかく降り注ぐ夏の雨が、読み手の心をも優しく濡らしていく。
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