読み終わって切ない気持ちでいっぱいになった。ストーリーは複雑で、すぐに読み取れるようなものではない。しかし、主人公(国交省勤務)をめぐる多くの人々の喜びと悲しみがそれぞれリアルに描かれており、主人公のかつての恋人だった乃緒【のお】をめぐる謎を追いかけているうちに最後まで一気に読まされてしまった。すばらしい。平野啓一郎『透明な迷宮』とならんで今年のベストだと思う。
それでは、乃緒とは一体いかなる女性だったのか。主人公のもとを離れて、いつしかパリへ行き、そこで知り合ったカリブ系のフランス人と結婚し子どもまで産んだにもかかわらず、彼らを捨ててパレスチナに渡り、二〇〇七年のイスラエル映画に女優として出演している。そして、彼女はその後ふたたび消息を絶つ。
それだけではない。さらに彼女はマダム・アレゴリという名前で一九三〇年代のパリにも出没していたことがわかってくる。その経緯を記した文書には彼女の写真まで添えてある。まるでタイムスリップして過去へと入り込んでしまったかのようだ。その文書に登場してくる人々はロレンス・ダレル「アレクサンドリア四重奏」の登場人物とも一致している(この連作シリーズはぼくがもっとも影響を受けた作品の一つでもある)。なんという手の込んだ仕掛けかと思って読んでいるうちに、ストーリーは一九三〇年代のセリーヌの反ユダヤ主義とも交錯し、さらに謎を深めていく。
そんな乃緒が若い頃ニース大学でカリブ系フランス人の二人の男と知り合った時のエピソードに、「私はとても幸せだ」という発音を直されるシーンが出てくる。彼ら三人は何度も、幸福、不幸、幸福、不幸と繰り返しながら大学への坂を上っていく。誰にでも経験がありそうなシーンだが、こうして反転を繰り返す世界にこそ彼女は生きているのではないか。
作者いわく、われわれはみんな滑走路に行列をつくって離陸の時を待つ存在にすぎない、と。しかし、もしかしたらそれは単に死を待つというのではなく、次の旅に飛び立つ準備をしているのではなかろうか。いろいろな意味で、生は一回では終わらない。そこにこの物語をめぐる一つの秘密が隠されている。
それにしても、パリでの主人公とリュシー、ギヨームとの幸せな日々、乃緒の子ブツゾウの愛らしさ、主人公の妹である視覚障害者の茜と点字をめぐるエピソードなど、心を動かされるシーンがいっぱいあって、それが結末の切なさをさらに倍増させる。ぜひご一読をお勧めしたい。
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