ある日、東京の熊沢武夫のもとに、郷里・諫早に落ちていたという彼の名入りのレインコートが届く。しかし、彼の家には同じレインコートが新品のまましまわれていた。一方、武夫の同級生だった滝井るり子の元にも、河原に落ちていたという彼女の携帯電話が届けられる。だがるり子の元には自分の携帯電話が――白石一文さんの新刊は、不可解なことが起こり、読者を謎に引き込んでいく。
「当初は、人間が自然に魅かれてゆくという、これとは違う物語を考えていたんです。でも、東日本大震災が起こって自然の脅威を見せつけられてしまった。それで四月初旬に被災地に行きました。僕が訪ねた石巻は津波で大変な状況で、自然の前での人間の無力さを感じました。一方で、時が経てばいずれ人も戻ってくるだろうと思いました」
小説の舞台は震災から約三ヶ月後の東京や長崎で、震災の被害が直接的に描かれるわけではない。それでも人々の会話には震災後の雰囲気が現れている。
「時間が経てば日常は戻ってきますが、現代作家はそれを当たり前のこととして書くわけにはいきません。例えば、放射能被害を恐れて東京を離れるよう妻にせがまれる男性が出てきます。何百年という放射性物質の半減期のことを考えると、そんな少しの距離くらい移ればいいと思う。でも実際にはそれが難しい。これまでは生活のためのミニマムな尺で物事を考えていましたが、震災をきっかけに、我々はもっと長い時間の物差しを与えられたのです。その何万年、何億年という尺で考えると、人間の基本は『生』ではなく『死』だとわかる。毎日、毎年たくさんの人が死に、百年もすれば皆入れ替わってしまう。そんな『死』の海の中の泡(あぶく)のようなものが『生』なんです」
物語にはさらに不思議なことが。武夫に届いたコートのポケットにあったSDカードには、未来を撮影した画像が入っていたのだ。これらの不思議な出来事を機に、武夫は「『時間』などないのだ」と考えるようになる。
「僕たちは時間を確固たるものと信じているので、その規則の外側にあるものを見ることができず、それで時に苦しくなってしまうんです。この小説では不思議なことが随所で起こりますが、人間の直観を『生』の中に閉じ込めたりしなければ、そんな不思議な出来事も自然に受け入れられるし、もっと楽に生きられるのではないでしょうか」
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