
書籍紹介
父・磐音の故郷である豊後関前の地から、16歳で武者修行の旅に出た空也。
薩摩での厳しい闘いの末に生じた酒匂一派との因縁。
行く先に次々と立ちはだかる酒匂一派との闘いにようやく決着がついたが、空也は瀕死の重傷を負うことになる。
江戸の磐音らが案じる中、ようやく目覚めた空也はなにをなすのか――。
父・磐音の故郷である豊後関前の地から、16歳で武者修行の旅に出た空也。
薩摩での厳しい闘いの末に生じた酒匂一派との因縁。
行く先に次々と立ちはだかる酒匂一派との闘いにようやく決着がついたが、空也は瀕死の重傷を負うことになる。
江戸の磐音らが案じる中、ようやく目覚めた空也はなにをなすのか――。
「空也十番勝負」再開によせて
写真家兼物書きになって四十数年、初期の二十数年はコクヨの四百字詰原稿用紙に万年筆でガシガシと下手くそな字で書いていた。字を間違えると切り貼りするゆえ、手は糊と修正液でいつも汚れていた。むろん専用の机などなく座卓を利用して筆圧強く書くものだから、首痛腰痛につねに見舞われた。
そんな私をみて娘がワープロを勧めた。一行二十字ていどの初期のワープロ専用機(若い人は知らないだろうな)だ。
コナン・ドイルなど外国人作家が常用したタイプライターの重厚にして機能美を兼ね備えた筆記用具に比べ、チャチな感じで毛嫌いした。
パソコンのワープロ・ソフトを常用するようになったのは、九〇年代前半ごろか、ミステリーや冒険小説やエッセイを三十数冊刊行している。この時代、見事なまでの初版作家だったが、粗雑ながら自己流のワープロ技術をこの時期に覚えたのだろう。最後の現代もの小説は九八年刊行のミステリー、『ダブルシティ』か。
文庫書下ろし時代小説に転じて(いや、転じざるを得なかったのです)二十数年で三百冊近くのワープロ書きの小説を世に送り出した。ワープロ・ソフトがなければ、この数字はありえない。ワープロが内容まで高めてくれると、「大作家」になったのだろうが夢のまた夢、贅沢はいうまい。
さて「空也十番勝負」を五番で中断したのは、どこかで物書きとして老いを感じたせいだろう。そのくせ三年あまり間をおいて、「空也十番勝負」シリーズを書きつづけようと思ったのは、せっかちながら律儀な筆者の性格のゆえだ。
どこをとっても「大作家」の風格はなし、とくと当人自覚しています。
空也の武者修行が長崎で中断したのは、薩摩示現流の高弟酒匂一族の最後の武芸者酒匂太郎兵衛との相打ちで瀕死の重傷を負ったからだ。
空也にとって運がいいのか、筆者に都合がいいのか。出島で異人医師の手術を受けた空也が平常に帰したとき、御礼代わりに異人さんの「抜け荷」の手伝いをなし、世間には表社会と裏社会があることを知ることになる。
そんなわけで六番勝負の舞台は、異国にまで広がったのです。
筆者の現代もの時代ものを問わず、長崎と上海が舞台としてしばしば登場する。
江戸時代、異国への窓口が長崎であり、長崎と交流の深い都市が上海だ。
ふたつの都市にはいくつもの共通する魅力があるが、やはり片方は内海に面した交易港、もう一方は異国船が出入りする国際都市という点であろうか。
私、なぜか江戸時代の長崎が大好き、そして近世の上海に魅了される。
武者修行者の坂崎空也の復活劇は、長崎と上海を舞台にどのように展開されるか。
ただ今の中国から窺いもしれないイギリス東インド会社に支配された上海の光と闇が、若い武者修行者空也のメンタリティにどう影響するか。
読者諸氏、父の坂崎磐音とは違った武芸者の道を歩む空也をどうか温かく見守ってください。
二〇二一年十一月 熱海にて
佐伯泰英