大名の家老といえば、日本人の大多数がすぐに思い浮かべるのは、赤穂(あこう)義士の大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしお)であろう。日本人は、実在の大石や、『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)を通して、家老のイメージをどことなく作り上げているところがある。家老とは、藩主が参勤交代で国を留守にする時に、主君に代わって藩政に責任をもつ重役であり、戦時になれば主君の意を受けて一軍の将にもなる存在なのだ。実際に、元禄十四年(一七〇一)の赤穂城受け取りは、籠城による攻防戦も考えられたほど緊張に富んだ政治ドラマだったのである。
播磨龍野(はりまたつの)城主の脇坂淡路守安照(わきさかあわじのかみやすてる)、備中足守(びっちゅうあしもり)藩主の木下肥後守公定(きのしたひごのかみきんさだ/※きんの漢字は【八+白】。公が代用されることが多い)は、寄せ手となって実戦になる事態も覚悟して城受け渡しの任務についた。他ならぬ大石も、元禄七年(一六九四)二月、備中松山藩の水谷家が改易となった際に、主君の浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が収城使となったために、城受け渡しの任にあたったこともある。大石は、赤穂藩浅野家の城代家老として、他家と自家の改易に関わる政治処理を二度も担当した稀有な家老だったのである。
大石内蔵助の水際立った采配ぶりは、秘かに或る家老の作法に範をとったと言われている。その人物とは、元和五年(一六一九)に芸備二国五十万石を徳川幕府に奪われた福島左衛門大夫正則(さえもんのたいふまさのり)の家老、福島丹波守治重(ふくしまたんばのかみはるしげ)に他ならない。
福島丹波はもともと武勇の士であったが、幕藩体制の確立に伴い、首席家老として広島藩の政治や経済の運営全般にも当たった。そのなかでも、歴史に残る事績こそ、福島家改易の時の振舞いなのであった。中村彰彦氏の家老列伝作品集『跡を濁さず』は、福島丹波を描いた短編「跡を濁さず」という作品名を、そのまま書名にしたものである。この中村氏会心の作を読めば、氏が丹波の城受け渡しに見せた政治技量をことのほかに評価しているのがよく分かる。
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