読書の秋、学問の秋。新学期を迎えて新しくノートを買いそろえた方もいるでしょう。 一方で、いつまでたっても手放せないノートもあります。読書ノート、育児ノート、交換日記、受験ノートなどなど……。 読者の方からお寄せいただいた、手放せないノートのエピソードを御紹介します。
Webでは公開できない読書ノート
今まで積み重ねてきた読書記録を書いた読書ノート。Web上にも本棚として登録しているけど、Webでは公開できない悪口も平気で書いているし、もう35冊ぐらいになったので、自分自身の歴史と言っても過言ではないくらい。(49歳 男性 会社員)
親子2代でつけた育児ノート
2人の子供の育児ノートです。妊娠がわかったときから、小学校に入るまで欠かさずつけていました。からだや心の成長、好きな食べ物や歌、読んでいた本まで事細かにつけました。妊娠を機に仕事を辞め時間があったこともありますが、日誌を書くことでその日が無事に終えた感謝を感じたり、育児につかれていた時でも書くことでふっきれたり元気になったりもしました。じつは、私が成人式を迎えたとき、母がつけた私が子供のころの育児ノートをプレゼントされたのです。反抗期だった私はそのノートを開いた瞬間、胸が熱くなったことをおぼえていて、私も子供が出来たらつけたいと思っていたのです。親子2代でつけた育児ノート。書いてある内容は違えど、子供をいつくしむ気持ちは全く同じなのですね。(55歳 女性 主婦)
先生と交わした日記帳の想い出
小学校1、2年生の時の、あのねちょう(日記)。毎日宿題が出ていたのですが、必ず毎日先生からの返事があって、今読んでも心が温かくなります。その先生のおかげで、小学校の先生にあこがれ、実際に今小学校教員として働いています。(36歳 女性 公務員)
青春の宝物
高校一年の時のクラスメート女子6人で、クラス替えを経て、3年間続けた、交換日記。ノートの最後になった人が、そのノートをもらい、次のノートを自分の好きな物を購入する。今でも2冊持っている。大切な青春の宝物。(55歳 女性 その他)
わが子に見せた受験のノートの反応は
中学生のときに高校受験のために作ったノートです。わからなかったり間違えたポイントをルーズリーフにはってファイリングしたノートです。先生が言った重要なポイントをファイリングしたノートです。今このノートを手放せないのはこのノートがあったおかげで今の自分があるからです。わが子に見せてあげるとお母さんの頑張りが伝わってきたから、僕らもこんなノート作るよといって一生懸命作っています。だから私にとってはとっても大切なノートです。(35歳 女性 その他)
自分の頭で考えた勉強は一生ものである
浪人時代に作った世界史のノートです。駿台予備校で(故)村山正雄先生の世界史の講義で啓発され、発奮して作りました。、中国やインド、ペルシア、トルコ等アジア地域に君臨した王朝毎に時間軸と世界地図を組み合わせたり、特記事項を箇条書きしてあり、今でもそれに加筆して使える<優れもの>です。受験勉強など役立たないという人もいますが、40年間勤務した会社を卒業した私が浪人時代を振り返ってみると、全く別の印象を持っています。丸暗記には限界があるが、自分の頭で考えた勉強は一生ものである、と。村山師には今でも感謝しています。(60歳以上 男性 その他)
楽しかった大学の授業
大学2年の時に受講した「児童文学」のノートです。幼い頃から本好きではあったものの、文学とは程遠い学部に進学しました。一般教養の単位を取得する際に、好奇心に任せて他学部の「児童文学」の授業を受講することにしました。「不思議の国のアリス」や「マザーグース」など言わずと知れた名作から東欧の聞いたことも無かった作品など、幅広く扱ったその週1コマの授業を、(ある意味どの授業よりも?)毎週真剣にノートを取り、心から楽しく受講したことを今でも思い出します。なお、大学卒業後は普通に就職しましたが、その後どうしても本と関わる仕事がしたく転職。現在は縁あって本に関わる仕事をしています。(会社員 29歳 女性)
海外一人旅の軌跡
大学時代に1年間海外一人旅をしたときに、各国の人々に自分の名前を書いてもらったノート5冊は決して手放すことができない。私にとっては旅の軌跡をたどる貴重な宝物の一つである。(37歳 男性 会社員)
実技の試験でもノートが必要
電気工事士の実技試験に落ちて、次の年までしか学科免除が有効でなかったから、いちからやり直しだったのです。実技の電気配線図を書いて書いて書きまくりました。13問の中のどれかが出題されるので丸暗記してしまうぐらい書きました。黒と白の配線違いで落ちたので悔しくて。手を使う実技でもノートが作れないと実技は合格できません。結果合格出来ましたので「努力の証拠」と「実技でもノートが必要である証拠」として捨てれません。(35歳 男性 その他)
「がんばればできる」が詰まっている
大人になって、生まれて初めて本気で取得したいと思った国家資格。介護の道で生きて行きたくて、まずは介護福祉士の勉強をしました。寝たきりの母の入院している病室で、自宅のコタツで、仕事の移動中の車の中で……ほんの隙間の時間を惜しんでわかりやすいノートを作るように勉強しました。必死で勉強する私の姿をみながら、当時受験生だった子どもも一緒に夜遅くまで勉強していました。頑張ったかいがあって、無事、子どもは志望校合格、私も一発合格♪ うれしかったなぁ~。事情があって、介護の仕事からは離れましたが、あの時のノートは親子二人の「がんばればできる」が詰まっているようで捨てられません。(47歳 女性 主婦)
今でも使える仕事のマニュアル
新人時代に作った仕事マニュアル(A4のルーズリーフファイル)。大学時代とは違う感覚で、社会人となって新規事業部の人事事務(経費処理を含む)をすることになった時期、先輩がいない状態で何もかもやらないといけない状況に置かれたので、ウイークデーに人事部の担当者から習ったことを土日に家でマニュアル化するということをしていた。そのままコピーすれば、後輩へのマニュアルとして使えたし、計算式などは変わっていても今も基本事項はそのまま使える。新規事業部と本社の仲が悪かったこともあり(下々には迷惑な話)「やめたい」と思ったほど過酷だったが、「でも今を乗り越えたらどこでも通用する」「どこでもやっていけるなら、ここにいてやめることはない」と思って、とにかく頑張った。(50歳 女性 主婦)
結婚までの思いが詰まったノート
今の主人と付き合っている時に書いていた交換日記が私の手放せないノートです。遠距離だったので頻繁に交換することは出来ませんでしたが、その分相手を思う気持ちが詰まったノートなので、ずっと大事にしたいノートです。(40歳 女性 主婦)
「貸して!」と言われたことが嬉しい
高校時代、大好きだった彼女が、貸して!と言ってくれたノート。結局、告白できないまま、ノートだけが残りました。(52歳 男性 会社員)
勉強や仕事以上に熱くなったゲーム攻略
実は勉強用のノートではなく……25年以上前にハマッてやっていたロールプレイングゲーム「ウィザードリィ」の地下迷路マップを書き込んだノートです。学生の頃からノートを取るのは大の苦手でしたが、SF作家の矢野徹氏の著書「ウィザードリィ日記」に触発され、ファミコン版からゲームボーイ版まで遊び尽くし、攻略のために方眼ノートに書き込んだ地下迷路マップは、全然遊ばなくなった現在でもどういうわけか手放すことができず、書斎の本棚の中で眠ってます。スマホやタブレットのゲーム、オンラインゲーム隆盛の今は、攻略のためにノートをわざわざ取る人はいないでしょう。自分にとっては、「勉強や仕事以上に熱くなれるものがあった」ことを証明できる唯一の大事なノートです。(46歳 男性 公務員)
カラオケが出来なくてくやしくて
平成4年から書き始めたカラオケノート。当時カラオケ全然できなくてくやしい思いで始めて、つけだしたノート。当時の店はほとんど無くなってしまって、思い出だけ。なんか感慨深い。今は2冊目、歌う曲も変わったけど、思い出は色あせないね。(55歳 男性 公務員)
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